【連載】魅力ある教師となるために 第3回 自然に親しむ心を持つ

多賀歴史研究所長 多賀譲冶

 
「先生、またあの山へ行こうよ」。この3月で定年を迎えた私に、卒業生たちがささやかな宴を開いてくれた。ファイナル授業と銘打った最終講義を終えたあとの居酒屋でのことであった。

 私の住む神奈川県には、山地としては小さいが、沢や谷、ほどよい距離の尾根道など変化に富んだ丹沢山塊がある。東京・新宿からアプローチの蓑毛まで1時間半という距離なので、天気のよい休日はハイカーでごったがえす。

 ところが裏丹沢と呼ばれる北側は、交通も不便で山小屋が少ないせいか、釣り人やマニアでないとなかなか行かない。もちろん土産物屋などなく、小屋は昔ながらの雑魚寝だ。登山道も表尾根に比べて急峻な所が多くてきつい。

 私はここへクラスの生徒をよく連れて行った。希望者をグループに分けて年間で割り振るのだが、ほとんどの子が行くことを望んだ。

 山がいいのは登頂の感動はもちろんだが、鳥のさえずりや頬をなでる風、渓流の冷たく澄んだ水。大自然の中に身を置くことによってのみ得られる体験や感動がそこにあるからだ。「山登りは二度としない」と言った生徒も帰ってから「また、行きたい」という理由もそこにある。

 私にとって初めての登山は、担任の先生に連れていってもらった奥多摩の御岳山だった。リュックに固形燃料と食材を突っ込み、新品のキャラバンシューズで慣れない山道を歩いた。この時、私は結構バテたのだが、はるか東京が見渡せる眺望と、コッヘルで炊いた即席米の味は終生忘れ得ぬものとなった。この時の経験が、教師になってから子どもたちを山に連れて行く原動力となっている。中学校1年生の6月のことである。

 新教育の牽引者で玉川学園創立者の小原國芳は、最初に手掛けた成城学園時代から、たびたび、子どもたちをキャンプや登山に連れて行った。大正から昭和のはじめにかけてのことである。道具や装備は、今よりずっと不便な時代の話だが、当時の写真を見ると、先生も子どもたちも生き生きと輝いている。

 小原は「少年たちに告ぐ」という文書で、登山について次のように述べている。

 「大自然に触れること。名山大澤は偉人を生ずだ。あの静寂な森、神秘な霧の高原、荘厳な夕日。山に海に盛んに出かけたいのもそのためだ。鍛錬の為でもあるが一つには山の気に触れたいためだ」と。  小原は、大自然のもつ宗教的な荘厳さとその中に身を置いた者同士の体験や共有が大きな教育的効果を持つことを直感的に見抜いていた人である。

 同時代に「石ころ先生」と呼ばれた宮澤賢治も生徒たちをよく野外に連れ出し、岩石の採集やハイキングを行った。体力のある生徒は名峰・岩手山にも連れていった。賢治は、あらゆる機会を捉えて宇宙や森羅万象の科学的な話、それだけでは説明のつかない大自然の神秘や美しさを生徒たちの心に植え付けた。

 そして、それらは教え子たちが老人になっても忘れ得ぬ感動として生き続けたという。教師冥利に尽きるではないか。いつの時代も自然の力は、人を素直にし、育てる。

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