【連載】脳科学から手書き・書道の意義を考える 第4回 頭をひねることで脳を育む

東京書芸協会会長 川原世雲

 
 書写の授業では、文字を整えて(一般には美しく)書くことを学びます。しかし、「字が下手でも立派な人はいくらでもいるじゃないか」と反論する生徒もいて、困ります。字の上手、下手と、人の高次脳機能(言語、学習、判断、注意、抑制など)との関連性について、お話ししたいと思います。

相馬御風(そうま・ぎょふう/1883~1950年)は、明治から昭和にかけての詩人、文芸評論家です。能筆であり、早稲田大学の校歌「都の西北」や童謡「春よ来い」などの作詞者としても知られます。御風は幼いころ、字を書くのが苦手だったといいます。

御風の随筆『母のおもいで』には、「どうしてこの子はこう生薑(しょうが=字が下手なこと)だろうか」という一節があります。また「私は幾十遍こうした母の嘆声を聞いたか分からない。私は生来どういうものか字を書くことが下手であったので手習いをするたびに母に叱られた。楽しかるべき正月2日の書初めも母のなさけなさそうな顔を見るのがつらくて、私にとってはむしろいやなことの一つであった」と記しています。

10歳ころの御風の書いたものを見ると、確かに字形(じがたち)が整っているとはいい難く、あまり上手とはいえません。しかし、よく見ると丁寧な運筆をしているのが分かります。また筆力も強健です。30代ころになると字形のバランスは改善され、さらに運筆や線の表情が豊かさを増し、書に深い滋味が加わってきます。

一般に文字の読み書きが苦手な人(いわゆるディスレクシアの傾向にある人)は、左脳の側頭葉(耳のうしろ)と頭頂葉間(頭の上の方)の活動が少ないことが分かっています。脳は幾重にも守られており、1つの回路がうまく働かない場合、「迂回」をします。

つまり、他の経路、高次脳機能の中枢である前頭前野を迂回して書字活動をします。歴史上の偉大な文人には文字を書くことを苦手にしている人は多くいますが、書くことが大変でも書き続けたことで前頭前野が鍛えられたと考えられます。

字を書くことは、労せず上手に書けてしまうことをよしとするのではなく、どうすれば上手に書けるか、頭をひねるところに脳を育むポイントがあります。逆にいえば、字を書くのが苦手な人ほど、習字をすると高次脳機能が発達する可能性が大きいわけです。教師はこうした脳の機能と構造をふまえて、書写の指導を行うべきでしょう。