【連載】魅力ある教師となるために 第8回 おかしいと感じることが大切

多賀歴史研究所長 多賀譲冶

 

何年か前のことだ。ある町の校長会に請われてネット学習の話をしたことがある。そのとき「子どもの肖像権」について尋ねられた。学校ホームページに掲載される写真がどうも面白くないという。

なるほど、どの学校の写真を見ても、子どもたちはうつむいていたり後ろ向きだったりぼかしが入っていたりしている。聞けば、ある親から「肖像権の侵害だ」と強烈なクレームがついて、それ以後そういうことになったらしい。

この傾向は全国に及び、子どもの生き生きとした目の輝きや笑顔がホームページから姿を消してしまった。昨今の社会状況から、安易に子どもの姿と名前が分かってしまうことが危険であるのは、誰にでも分かる。個人情報の漏洩によって思いもよらぬ被害に遭うことも実際にある。では、こうした危険度が日本より高いと思われる米国ではどうだろうか。

どこでもよいから試しに米国の学校ホームページを開いてみればよい。躍動感あふれるテニスやフットボールの試合、真剣にビーカーをのぞき込む子どものまなざし、談笑しながら歩く子どもたちなど、学ぶことの楽しさや成長することの喜びに満ちている。当然のことながら、どこを見ても、うつむいたり後ろ向きだったりするような写真は見あたらない。

これは英国しかり、ドイツしかり、フランスしかりである。これらの国々が人権や個人の尊重を何よりも重視するお国柄であるにもかかわらず、だ。
なぜだろう。私はそれを信念の差だと思っている。

学校の主人公である子どもたちが学習やスポーツ、生徒会活動などでどれだけ活躍しているか、どれだけ素晴らしい教育を受けているかを内外に発信するとなれば、うなだれたような写真を掲載するわけがないのである。もちろん、個人情報の保護や肖像権をクリアした上であるのはいうまでもない。

それでも杓子定規でひねこびた理屈は彼の国々にもある。しかし、それに対して信念を貫く気概もあるのが彼らの社会だ。クレーマーやモンスターペアレントにいちいち右往左往しない。社会の常識と組織の力が彼らをはねのける。日本では孤軍奮闘してつぶれてしまう教師がいることなど彼らには思いもつかぬことだろう。そして、良いことは良いこと、前例は改めればそれが前例になるという柔軟性も彼らにはある。

重箱の隅をつついている間にどんどん取り残され、やがて陳腐化してしまうどこかの国とは大いに異なる。

情けないのは、多くが陳腐化している現実にさえ気が付かないということだ。順位がつかない駆けっこなどはその典型で、競争は人類普遍の法則であり、これなしには個人も社会も前へ進まない。事実や体験から学んだことのない大人がそれをしている。

子どもたちの顔が見えない集合写真や遠景ばかりの「へんてこりん」なホームページは、そうした日本の学校とその背景にある社会を表している。このことを子どもたちに一番近い教師に気付いてほしいと、痛切に思う。

世間や世界の常識から乖離しているものを、まず知ることだ。