【連載】魅力ある教師となるために 第9回 授業向上が問題解決の第一歩

多賀歴史研究所長 多賀譲冶

 

いじめによる自殺が後を絶たない。原因が1つでないのは誰にでも分かる。対策も一様ではない。

そんな中、教師にできるのは何かと問われれば、私は第一に「授業力の向上」と答える。教師には、授業以外にも部活動の指導や生活・進路指導などさまざまな場面の仕事や能力が求められるが、本分は、授業を通して学習する心とその方法を児童生徒に伝えるのが目的だ。

事前の工夫と努力によって子どもたちの理解が浸透し、爽やかに授業を終えたときの喜びは、教師なら誰でも味わっているだろう。こうした授業の積み重ねが学習意欲の向上と素直で開かれた心を育てるのはいうまでもない。

当然ながら、教師や大人に対する信頼関係も醸成される。そんなベースのもと、いじめ対策に有効なカウンセリングや生活指導がうまく機能する。

人の能力を見抜く力は、低学年の児童にも十分備わっていて、授業のうまい教師とそうでない教師の線引きは無意識に行われている。学級崩壊などは授業力の低さが原因といってよい。高学年にもなれば「あいつの授業はつまらね~」となるわけで、分かりやすい授業を行う教師とそうでない教師は、明確に分けられる。聞く耳で聞かれる教師と聞いたふりで済まされる教師とで区分されるわけだ。

ありがちな話だが、「今日の授業は落ち着きがなかった」とか「児童生徒の理解力が低い」などとかと、授業の失敗を子ども側に押しつけてはならない。そのような教師との間に真の信頼関係が生まれるわけもなく、尊敬もされず、言葉も浸透しない。子どもたちが授業を理解できないのは、全て教師の責任であると肝に銘じるべきである。教師に、とって授業力の向上は必須条件で、信頼されない教師にいじめを制する力はない。

失敗も成功と同様に大切な経験であると、教師は明確に認知するべきだ。ノーベル賞学者たちも異口同音に唱えるように「成功の秘訣は失敗からの学び」であり、これは人類不変の法則でもある。

昨今の教育現場では、活動の中で「成功」や「褒めて育てる」に目がいきすぎてはいないだろうか。失敗を避けるため、過剰に子どもたちを支えていないだろうか。成功させるのは大切だが、むしろ、その過程で生じる失敗を乗り越える点に学習の価値がある。

結果をすぐ求めず、我慢強く子どもの試行錯誤から育つものを待つのも必要で、安易なゴールへの導きによって困難を乗り越える力や工夫、克己心の芽を摘んではならない。多少の荒波に揉まれても北風が吹いても、それをはね返す力をつけるのは教育の大切な目的の1つである。

ことさら厳しい態度や言葉で接する必要はないが、手の出しすぎや褒め言葉の安売りだけでは育つものも育たない。褒めるのも励ましも叱りも、その中身とタイミングを見極めるのが教師の大切な役割で、その能力が、授業力という基盤の上に成り立つのはいうまでもない。

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