【連載】温故知新の学びから考える 9 構成劇「学校の創生」に情熱

上演への努力を通じて郷土への愛情を一層深めた
上演への努力を通じて郷土への愛情を一層深めた

新潟県小千谷市立小千谷小学校教諭
平澤林太郎

川岸で子どもたち4人が会話するシーンから、構成劇は始まる。

「川岸に来たよ。ねえ、また、あの声を聞いてみない?」「そうね。そっと耳をすまして…」「私、何も聞こえない。風の音しか聞こえない」「僕も、川の音と風の音しか聞こえない」「ほら、目をつむって、ようく耳をすましてみて…」「あ、風の中に子どもの声!」「あ、僕も聞こえる、風の中に子どもの声…」「笑い声や、ささやく声や、歌うような声や、それに…こわい声も聞こえる。うなり声や叫び声…」「泣いているような声も聞こえてくるよ」――。(構成劇のシナリオから)。

明治元年、戊辰戦争の戦火が小千谷に迫った。5月に長岡藩の軍隊が政府軍との全面戦争に突入する直前、小千谷の町は佐藤半左エ門らの仲介で政府軍が寝泊まりすることになった。小千谷の町は戦火は免れたものの、戦々恐々の日々が続いた。8月、民政局は反乱の芽をつもうと、長岡藩の子どもたちを助けてはいけないというお触れを出した。誰にも助けてもらえず、町の一角に、身寄りを失い孤児となった長岡藩士の子どもたちが数多く逃げ込み、苦しい生活を強いられていたのである。

この子どもたちの姿を心配し、心を痛め、彼らを保護して教育しようと私財を投げ打ち、金千両を寄付して学校創立を求めた1人の男がいた。小千谷の縮商、儒学者で町年寄をしていた山本比呂伎である。妻を失い、最愛の息子も失っていた山本は、子どもたちの救済に立ち上がる。学校設立のため新政府の県知事に2度にわたる建白書を提出し、小千谷の人々と辛苦を乗り越え、ついに明治元年10月1日、学校設立の許可を得るに至った。

小千谷小学校創設と運営には、大きな歴史と文化がある。同校は、その大きなドラマを構成劇という形で市民に向けて毎年上演している。構成劇が生まれたのは、今から18年前の平成9年。同校開校130周年記念の時である。

脚本を書いたのは、佐藤学東京大学教授(現学習院大学教授)。佐藤教授は同校の歴史や教育に対する敬意を、構成劇の脚本と主題曲で準校歌である「あなたに」と「学校讃歌」という2つの曲の作詞に込めた。その2曲は作曲家の三善晃先生から作曲していただいた。当時は市民の皆さんの力も借りながら演じていた構成劇だが、現在は、同校6年生が毎年、総合的な学習の時間の集大成で演じている。

今年度の構成劇でも、6年生の児童157人が、民政局、小千谷の町の大人、子ども、長岡藩士の子ども、語り、合唱隊などのキャストに加え、司会や解説、ナレーターなどの進行、裏方も務め、一丸となって舞台を創り上げた。「あなたに」「学校讃歌」「ふるさと」そして「小千谷小学校校歌」は6年生全員で合唱した。舞台のフィナーレでは、児童が「日本で最初の公立小学校を卒業する喜びと誇りを忘れない」とあいさつした。

この構成劇上演に向け、ナレーターの児童は何度も学校創設の建白書を読み、繰り返し練習した。また山本比呂伎を演じる児童は、戊辰戦争や市内の史跡について詳しく調べ、山本の学校創生にかける強い思いを演じようと練習に取り組んだ。そして、児童たちは心を開き、学校や郷土の歴史はもちろん、郷土を愛する心や生きる意味、生きる力を自分の中に育んでいった。

この構成劇は、保護者や地域の方々と共に同校5年生も鑑賞している。この6年生の素晴らしい構成劇は、これからも小千谷小学校の伝統として、毎年引き継がれていくのである。

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