【連載】「いじめ問題」の解剖学 第10回 「いじめ問題」の成立7

立教大学文学部教授 北澤毅

 

転換点としての水戸市事件報道(2)

水戸市事件の報道をめぐる謎は、三大紙の扱い方が大きく異なった。それは、報道内容が異なるという次元の問題ではなく、朝日新聞が大きく報じた事件を、読売新聞は全く報じなかったというほどに極端な違いがあった。

そこには、かなり明確な理由があったように思われてならない。というのは、事件発生当時、朝日新聞が報じた「もういじめないでね」という言葉が、メモに書かれていたかどうかが確認できなかった。

それゆえ「いじめ自殺」といえるかどうか。不明とする判断が存在する可能性があるからだ。

たとえば、事件発生直後に報道しなかった読売新聞は、およそ3カ月後に関連記事を掲載した。

メモの中に「『いじめられた』という文面はない。が、いじめを想像させる内容である」と、はっきりと「ない」と書いている(昭和60年5月2日付)。そして毎日新聞は、1月23日の第一報の見出しに「いじめ?」と疑問符をつけることで、自殺動機についての判断を留保する姿勢を見せた。

そうした中で最も注目されるのは、サンケイ新聞社の動きである。同紙は、1月23日の第一報で、「原因は〝いじめ〟」という見出しを掲げ、本文中で、自室の通学かばんの中にあったメモに「もういじめないでね」という言葉が書かれていたと報じた。

しかし、事件から1年後の昭和61年2月に刊行されたサンケイ新聞社会部取材班の著書では、全く異なる見解が表明されている。水戸市事件を扱った章の冒頭は次のように始まっている。

「『もういじめないでね』というメモを残して少女は自殺した――と新聞やテレビは報じた。…中略…。これほどストレートにいじめを自ら〝告発〟して命を絶った例はない。少女の〝一言〟は臨時教育審議会でも取りあげられ、いじめが社会問題化するきっかけともなった。しかし、結論から先にいえば、メモには『いじめ』の字はなかったようだ」(サンケイ新聞社会部取材班)。

このような重大な指摘をしたうえで、メモに「もういじめないでね」という表現がなかったとする根拠について、説得的な議論を展開している。その詳細は省略するが、ここで注目したいのは、朝日新聞やサンケイ新聞が「ある」と報道していた言葉を、読売新聞とサンケイ新聞社会部取材班は「ない」と主張している分裂状態である。

だからといって、「では、本当はどうだったのか」などと問うのは虚しいし、筋違いである。そうではなく、この事件を通してはっきりさせたいのは次のことである。

つまり、朝日新聞やサンケイ新聞ばかりかNHKもまた、水戸市事件を「いじめ自殺」事件として繰り返し報道することで、「いじめ問題」の深刻さを訴え続けた。

さらには、この事件についての判断を留保していた毎日新聞や読売新聞も、ほどなく「いじめ問題」の連載を開始するなど、マスメディアが一斉に「いじめ問題」報道を過熱させていった。それに呼応するようにして、警察庁や文部省などの公的機関が「いじめ実態調査」や「いじめ対策」に、初めて乗り出した。

こうした一連の動きが折り重なることで、「いじめの社会問題化」という「事実」が社会的に作られていった。もちろん、こうして作られた「事実」は覆される可能性もある。しかしそれまでは、私たちの社会認識や言動を拘束する力を持ち続けるのである。その意味で「社会的事実」とは、客観的で公正な「真実」などでは決してなく、一種の社会規範なのだと強調しておきたい。

水戸市事件を契機として「自殺の動機としてのいじめ」という「いじめ問題」認識が形成された。昭和60年9月以降、中学生の「いじめ自殺」事件報道が連続する。さらには翌年2月、中野富士見中事件が発生し、日本社会は、「いじめ問題」をめぐってモラルパニック状態に陥る。

もし、以上のような経緯で「いじめ問題」が成立したとすれば、朝日新聞やNHKは、なぜ水戸市事件を「いじめ自殺」と判断し、何度も繰り返し報道したのだろうか。この謎にも、当時の社会状況を振り返り迫っていきたいと思う。

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