【連載】魅力ある教師となるために 第11回 真実を見極める目と直感力養う

多賀歴史研究所長 多賀譲冶

 
「変だな…」。

私の目はテレビの画面に釘付けとなった。夕方のニュースは、関東地方にある前期旧石器時代と思われる遺跡の発掘現場を映し出していた。

発掘で一番大切なのは、遺物がどの層のどの部分から出土したかという点で、わずか1ミリの土層の差で年代も文化も分けられる。したがって、セクションベルトと呼ばれる堆積土を確認するための土の壁は鏡面のように美しく垂直に削られるはずなのだが、テレビの中の現場では壁面が凸凹で、しかもボロボロと土が落ちていた。

また遺構があろうと遺物が顔を出そうと、細心の注意を払ってミリ単位で土を水平に掘り下げなければならないのだが、ここでは石器の周りだけを掘って取り出した跡が映し出されていた。私が中学生の時に絶対してはいけない第一として習った「タヌキ掘り」だ。

発掘には、外せない決まりがいくつかあるのだが、この現場では、一切それが守られていなかった。私には、それが子どもの発掘のまね事のように見えたのだ。それから数カ月後に、日本考古学界最大のスキャンダルとしてスクープされた「旧石器捏造事件」が発覚した。

15年以上も前の話だが、社会に与えた衝撃と影響は計り知れない。捏造の主役だった人物の責任が重いのは当然だが、彼を「神の手を持つ男」と持ち上げた考古学界や社会にも大いに責任があるのを忘れてはならない。

ところが、イケイケの風潮の中で、石器を加工するときに必ず生じるはずの破片がまったく出てこない点や、遺物が水平面や壁面からしか出てこない点に当初から疑問を呈していた学者が数人いた。その中の1人とEメールでやり取りしたことがある。「激励のメールがたくさん来るでしょう」と書いたら「激励は3通。200通以上は非難のEメールだった」と返事が来た。

権威や風潮の前で無批判になってしまう悪弊は、歴史の中で何度も繰り返されてきた。そして、それは今日も続いている。後ろ盾に学会の重鎮がいようと、世界に名だたる研究所の発表だろうと、事実の前に名前や肩書きは無きに等しく、アンデルセンは200年前にそれを「裸の王様」で説いた。

真実を見極める目と直感力を養うのが知育の大きな役割なのはいうまでもなく、暗記学習や受験勉強では、それらを身に付けることはできない。私が捏造事件の発掘光景を見ておかしいと感じたのは、学生時代に発掘技術の基本がたたき込まれていたからで、そうでなければ見過ごしていたに違いない。

私の場合「ものを見る目」は考古学で培われた知識と体験が核になっている。教師にとって授業は命であり、ものを見る目はその核心だ。ところが、この核心を維持するためには向上心というエネルギーが必要で、現状に満足しない教師だけが子どもの心を揺さぶる授業を実現する。

「目」を育てるための修養は、いつでも、どこからでも始められる。そして、その内容を選ばない。

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