【連載】脳科学から手書き・書道の意義を考える 第10回 習字と道徳意識に深い関係

現場教員の方々と習字についてお話しすると、「習字の授業では、教室がなんだかスーとした感じになる」などといった言葉をよく耳にします。「落ち着く」とか「神聖な雰囲気」など、言い回しは異なるものの、習字の授業にこのような印象を持つ教員の方は多いようです。

習字は、脳のさまざまな領域を並列的に使用し、その結果、この並列処理の中枢である前頭前野の機能である学習、思考、意欲、注意、計画、推論、創造、抑制、情操、判断などを高めるのは、以前もお話ししました。この前頭前野について脳科学史上の重大な事件に触れたいと思います。

1848年夏、アメリカのニューイングランドで、鉄道の工事に従事していた当時25歳のフィアネス・ゲージは、岩盤を爆破する際に事故に遭い、重さ6キロ超、長さ1・2メートル、直径4センチほどの鉄の棒が、頬から額の上の部分を貫きます。ゲージはこのような重傷を負いながらも、事故直後から歩く、食べる、話すの全てが可能でした。

医師の献身的な治療により、2カ月で傷は完治しましたが、事故後にゲージに大きな変化が現れます。それまで有能で、職場での統率力、人間性、仕事の確かさから、作業員全員の尊敬を集めていたゲージの人格が全く変わってしまったのです。

当時の医師は、「彼は人前で不謹慎なことをいつも述べていた。何かしたいときに止められるとすぐに怒った。彼はまるで可能性のないことを計画し、それを自分からすぐにやめてしまった。気まぐれな彼は大人の心に子どもの知性が宿っているようだった」と述懐しています。

ゲージの死から5年後の1866年、その頭蓋骨を調べた心理学者は、彼が脳のどの部分を損傷したか確認します。その損傷部位が現在、私たちが知るところの前頭前野です。

前頭前野の機能を失ったゲージに道徳の授業を受けさせても、おそらく、ゲージの人格に変化は起きないでしょう。人間の脳と機械の大きな違いに、その機能と構造の可塑性(自らが成長、変質する能力)があります。脳が未成熟な子どもに習字をさせるのは、前頭前野を中心に脳を育む絶好の手段です。

社会全体でモラルの低下が問題になっています。それだけに前頭前野を育む習字の教育的意義をもっと知るのが大切だと思います。

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