【連載】幼小接続スタートカリキュラム 11 無償化や幼児主導で弊害も

聖徳大学短期大学部保育科准教授 金玟志

 

■ヌリ課程遂行における2つの課題

これまで、子どもの主体的な遊びを通した学びとして立ち上げた「ヌリ課程」を中心に、近年の韓国の幼児教育を紹介してきました。

子どもの望ましい人間性を培うため「全人教育」を柱とした「ヌリ課程」は、教育の公正な機会を揃えることで、これまでの幼稚園とオリニジップにおける子どもの学びの格差を減らし、公教育の均等化を実現する画期的なものでした。また家庭の教育費の軽減を目指し、無償化教育を実践したのも大きな改革でした。

しかし、「ヌリ課程」実施後、徐々に浮上した無償化による国の財政問題や地方自治体の受け皿問題は、今年から深刻化しました。地域によっては、やむなく廃園を決める教育施設が現れたり、保育機会に欠けた子どもが生じたりするなど、さらなる問題が浮上している状況です。

子どもに良質な教育機会を与えようと始まった制度ですが、十分な財政確保と見通しがないまま続行した弊害が、今になって大きな課題になっています。
次の課題は、「ヌリ課程」の根幹にある「幼児主導型カリキュラム」の普及、検討の必要性です。

政府は「ヌリ課程」の導入で、同課程の実践がどの施設でも滞りなく取り入れられるよう、保育時間を確保するだけでなく、教具・遊具の制作やヌリ課程指導書の配布などで学びの統一化を図りました。

その後、各出版業界がわれ先にと、子どもの「幼児主導型」の学びを掲げ、さまざまな出版物を発行。今は、教育施設だけでなく、家庭でも、氾濫した「幼児主導型」教具・遊具の中で子どもたちは翻弄されている状態です。学び手の子どもの興味関心に沿った教育として、保育者や保護者がいかに子どもの発見や気付きの時を待っているかを問わなければなりません。

■「啐啄同時」の心

逃せない絶好のタイミングという意味で使われる四字熟語に「啐啄同時」という言葉があります。「啐」は、(1)おどろく(2)呼ぶ(3)子どもをあやす声(4)なめる――などの意味を持ち、仏教では、鶏のひなが卵から産まれ出ようとする時、卵の内側から抜け出るためにつついて音をたてる行為を表しています。

次の「啄」は、(1)ついばむ(2)たたく――という意味から、親鳥が卵から出ようとするひなの様子をすかさずキャッチし、その殻をついばんで破るという行為を表し、ふ化を助けるのを意味しています。

そのため、「啐啄同時」とは、同時に起きる「啐啄」の行為が、命の始まりを完全なものとするように、悟りを得ようとする弟子に、師匠が教示を与えるという、時に合った師弟関係の学びを説いた言葉として用いられています。

この「啐啄同時」の心が、子どもを育てる側である保育者や保護者にあるかを今一度問わなければ、子どもの遊びを通した学びを重視した「ヌリ課程」の実現を成し遂げたとはいえないでしょう。

ひながふ化するためには、親鳥の卵を抱きかかえ、温めるというある程度の期間が前提になります。ひなが卵から出ようと、殻をつつき始めてから完全に殻を破って出るまでの時間を短縮するため、親鳥としてついばむという助け(協力)のタイミングをいかに重視してきたか吟味しなければなりません。

好機を見逃さずタイミングを合わすという一連の行為の流れに、韓国の「幼児主導型カリキュラム」の在り方を模索する重要な心構えが潜んでいるのです。

良質な教育を通した人材育成が、枠にはめた教育の中で、先行学習や大量な教材をやりつくすだけで終わらないようにしたいものです。

保育者と保護者は、親鳥のようにふ化できる十分な環境を構成し、子どもの学びや発見の目を育てるタイミングを考えていきたいです。子ども自らが力を試すような「見守り」の姿勢、何よりも、子どもの良し悪しを決める判断者(judger)ではなく、子どもを分かろうとする理解者(sympathizer)、子どもを学ぼうとする学習者(learner)となるのを実現しなければなりません。

関連記事