【連載】幼小接続スタートカリキュラム 12 保育者・教員養成に力を注げ

聖徳大学短期大学部保育科准教授 金玟志

 

■主体的な遊びを中心とした学び

OECDによる世界の教育制度指標が改訂され(2011年)、これまでの幼児教育の在り方をまとめ、子どもの生涯の学びを見据えた幼児教育・保育の質的レベルの向上に注目した動きが活発になりました。その影響もあり、日本と韓国はほぼ同時期に、幼児期における良質な教育の実現に向け、政策を伴った大きな変遷の時期を迎えました。

何よりも、幼児期の学びがその後の学びに及ぼす影響に対する言及がなされ、これまで「単に、遊ぶ」としか解釈されなかった幼児期の遊びが、この時期の子どもの学びの心を育て、その後の学びに対する探究につながるのが、少しずつ理解されるようになりました。

しかし、残念ながらいまだに教育現場では、幼児期の遊びの重要性が理解されないまま、また幼児期からの学びが継続されないまま、それまでの子どもの経験が生かされずに新たな学びのルーツを構築しようとする動きがあるのも事実です。

では、子どもが学びに向かう、知りたいという学びの意欲を育むためには何が必要でしょうか。ヨハン・ホイジンガは「定められた時間・空間の範囲内で行われる自発的な行為」として遊びを定義しました。また幼稚園教育要領では「幼児期の生活のほとんどは遊びによって占められている。この遊びの本質は、人が周囲の事物や他の人たちと思うがままに多様な仕方で応答しあうことに夢中になり、時のたつのも忘れ、そのかかわり合いそのものを楽しむこと」と明記されています。

ホイジンガが示したある一定の時間・空間の拘束的な場が子どもたちにおいて時の経つのも忘れて夢中になるためには、置かれているさまざまな事物や現象に対し興味や関心が向けるような環境が必要であり、その中で子ども自ら対象との関わりを楽しむことが前提となります。

これらの遊びの定義は、学びの過程でも同様です。子ども自ら生み出す主体的な学びになるためには、子どもの興味や関心に沿ったものが必要で、知れば知るほど夢中になるくらい集中する力、それを学習する過程には必ずモノや教材を使いこなすための力が求められるからです。

知るとは、これまでの自分に内在していなかったものが新たな形として刻み込まれることであり、それらは自分の視点を変え、思考を深める行為につながります。空白部分が新たな体験や経験を通して埋められる行為であり、新たな境地に立って物事を考えるのにつながると言えます。そのような学習に対する知識伝授の根底に、幼児期の遊びが基盤にあることを、両国の幼児教育・保育は目指しているのです。

■教員養成に対する課題

最近の世界各国の幼児教育・保育の動向をみると、どの国も良質な教育の機会の提供を掲げ、国家レベルの財政支援とともに優秀な教員の育成を重視する傾向にあるといえます。また学びの当事者である子どものたちが、主体的な学びを通して自ら経験した探究の過程を築けるように学びの芽生えを大切にしているといえます。

しかし、そのためには、教える側である保育者あるいは教師の質の問題を看過してはなりません。幼児教育・保育の質への問いは、子どもの学びとは何かを考えることであり、子どもと生活を共にする優秀な人材として保育者・教師をいかに確保するかにかかっているといえるのです。社会情勢の変化に伴い、幼児教育・保育現場に対する制度や基準が目まぐるしく変遷する中で、子どもの育ちを補う保育者・教員養成に対しては、ゆったりとした変化になっているような気がします。

実際、幼児教育・保育現場でも「遊び」を通した教育が認められるようになるまでには、時間がとてもかかりました。それは、幼児教育・保育の制度や情勢に合わせた保育者・教員養成のタイミングのズレから来ているのではないかと思います。保育者や教員がかつて受けたことのない教育・保育方法で担当する子どもの育ちを導くとなれば、制度が追求した神髄の学びの根源は形だけのものとなり、言葉だけが独り歩きするようなものとして誤解されやすいからです。

それを考えると、学びの連続性を重視した幼小接続カリキュラムとしての両国の教育制度が、良質な教育を通した子どもの育ちを考えたものになるためには、保育者・教員養成に真剣に取り組むことが優先されなければなりません。

(おわり)

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