【連載】志ある教師のために 悩み続ける青年教師の物語 12 教育コンサルタントに

東京都小金井市立緑小学校教諭 西野宏明

 

児玉修は教師になって20年。45歳で教師を辞めました。
その間に、毎日の学校における教育実践とは別に、青年海外協力隊、日本人学校、指導教諭、単著・雑誌・新聞の執筆、セミナー講師などを経験しました。
児玉は決意したのです。

「自分は20年間、がむしゃらに実践してきた。指導案を何本書いたかわからない。本を何冊読んだかわからない。サークルのレポート検討を何度したかもわからない。それくらい努力して子どもために実践してきた。だから、毎年受け持つ子は確かに変わってきた。成長した。でも考えてみると、伸ばすことができるのは30人までだ……。もちろんこれも尊いことだ。しかし、仮に私が持っている教育技術、感性、教育哲学、何よりも指導力を高めるための学び方、教師修行のやり方を若手教師に伝達できれば、さらに多くの子が毎年成長し、伸びていくはずだ。若手が10人育てば300人、100人育てば3000人だ。よし、教育コンサルタントになろう!」

こうして児玉は、独立して教育コンサルタントになったのでした。
セミナー、講演、執筆活動は継続しました。しかし、児玉が最も力を入れたのは、若手教師を育てる事業でした。児玉は受講者のニーズに合うように、さまざまなコースを用意しました。期間と定員を決め、参加すれば一定の教育技術が必ず習得できるシステムを構築しました。教育技術だけでなく、教師に必要なマインドを引き出す講座もあります。私塾のような形で若手教師を育てていきました。

日本と世界の教育に貢献していきたいと願う児玉は、さらに活動の範囲を広げていきました。文科省、都道府県教育委員会、各小学校と交流し、教員研修の改革も行うようになりました。

児玉のコンサルティングは汎用性が高いため、海外からも教育改革の依頼が増えました。青年海外協力隊のときから交流のあるアジア、アフリカの国々の教育から着手しました。それから、ヨーロッパやアメリカの教育にも携わりました。こうして児玉の教育実践は、世界での教育に少なからず影響を与えることになりました。

教師になりたてのころは、1時間の授業をどうするかで困っていた児玉の教育実践が、世界の教育を変える一端になっていったのです。児玉はその生き様を通して「人は変われる」という事実を示したのでした。

(おわり)

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