【連載】いつからいつまで特別支援 第11回「個別指導計画」誕生秘話(その①)

臨床発達心理士 池田敬史

 

19年前の平成9年2月に、東京都教育委員会は「個別指導Q&A」という刊行物を出しました。私は教育庁指導部主任指導主事として、3年間にわたってこの指導計画の作成に関わってきました。当初、東京都では、特別支援学校(知的障がい)と特別支援学校(視覚、聴覚、肢体不自由者で重複障がいのある子どもたち)、そして、病弱者と通級による指導(通級指導学級)を対象にしました。

その後、文部科学省は数年遅れて、「個別の指導計画」の作成を法制化しますが、平成19年の特別支援教育の開始に当たって、幼稚園、小学校、中学校、高校で通常教育を受ける子どもたちにも対象を広げることにしました。「発達障がい児」の指導が喫緊の課題となったからです。東京都でも普通教育への個別指導計画の導入を考えましたが、その基盤を作るまでには至っていないと判断し、上記の子どもたちを対象としました。あれから19年後の学習指導要領の改訂で全国の学校において、個別の支援を必要とする子どもについては、個別指導計画を作成することになりました。

当時、このアクションに携わった私たちにとっては、とても感慨深いものがあるので、その経過を述べたいと思います。

当時の養護学校の授業風景に、こんな様子がありました。知的障がいの6人学級での音楽授業です。子どもたちはいすに座って、並んで待っています。一人ずつ順番に出てきて、みんなの前で小太鼓を叩きます。後ろの子どもたちはその間、ずっと待たされていて、課題のない子どもたちが席を立ったり、よそ見をしたりするのを、サブの先生が一生懸命に座らせて、待たせようとします。他の子どもたちが、この小太鼓を叩くのは、45分の授業の中でたった5分間くらいしかなく、あとがほとんど待っている時間でした。朝の会もこんな状態でした。とにかく座らせること、順番を待つことにきゅうきゅうとしている子どもたちを、先生方が一生懸命に落ち着かせようとするのですが、なかなか朝の会に至らないというような状況が続いていました。

時にはこのような様子が写真となって、学校案内のパンフレットに掲載されるといった実態も見られました。東京都では、重度重複学級(3人に対して2人の教員配置)が認められていたにもかかわらず、学校現場では3人1クラスの重度重複学級の数を多く申請し、実際にはできるだけ先生の数をたくさん配置して、重い子も軽い子も一緒に指導しようというような、そんな現状が続いていました。

その少し前の1975年、米国で、連邦法である「全障害児教育法」が施行され、その中で、全ての障がい者に個別教育計画(IEP)の作成が義務付けられることになりました。個々の子ども一人ひとりのために、専門家によるIEPミーティングが招集され、そこには保護者の考えや要望も取り入れられるという画期的な政策でした。

そのIEPを日本でも、といった波が少しずつ浸透し始めた頃でもありました。個々の子どもたちに即した指導が計画的に行われるべきといった主張が聞かれ、その機が熟しかけつつありました。

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