【連載】飯田稔のすばらしき教員人生 96 追悼 多湖校長

■訃報に驚く

春浅い日に、多湖輝氏の訃報(3月6日・90歳)に接した。多湖氏と聞けば、誰もがベストセラー『頭の体操』の著者であることを思い出す。心理学者で千葉大学の教授であり、それもタレント教授であったと、承知している人も多い。

ところで多湖先生は千葉大学教育学部附属小学校長を併任している。昭和54年4月から59年3月までが、その併任期間である。その間、校長の補佐役として、最も身近に接したのが著者である。5年間の校長併任期間中、1年間は教務主任、4年間は副校長として、仕えたのだから…。偶然のことだ。
筆者は、28年間附属小に勤務したが、その最後の5年間が、多湖教授の校長併任時代と重なる。教職人生にとって、これは貴重だ。

■慣れない世界で

多湖先生のご冥福を祈りながら、5年間の往時を回想した。併任発令時、教育学部教授会で多湖教授を校長候補としたが、附小の意向はそうではなかった。別の教授を望んでいたのである。途中経過は省略するが、4月には多湖併任校長赴任となった。

そうした事情があったから、校長赴任時は双方とも慎重に対応したことは事実。“頭の体操・校長になる”の記事にしようと、スポーツ紙のカメラマンが運動会の開会式にやってくる。タレント教授に、早く校長職になってもらわなければと、お灸をすえたのは、筆者の前任のQ副校長。
不慣れは致し方ないものの、体罰問題への発言で地方教委との緊張関係も生じていた。

■慣れは早い

こうして1カ月が過ぎた頃から、校長の面目一新。海外の教育事情を、分かりやすく紹介してくれるし、給食でパンが余れば、もったいないです、と率先持ち帰りをするのだ。
あっという間に学校の雰囲気に同化。リーダーシップを発揮していく。副校長や教務主任の意見を、十分に聞いての判断。

特に、当時は学校社会に入っていなかった「危機管理」についての注意。これは貴重であった。どうしたら、危機発生を未然を防げるか。万一、危機が発生したら、被害を最小限に止めるにはどうするか。それを、学校で生起する事例に即して、手を打っていく。これで、附小は危機管理に強くなった。

(元公立小学校長、千葉経済大学短期大学部名誉教授)

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