【連載】飯田稔のすばらしき教員人生 97 6月は公開研の日

■遠く明治・大正のころから

千葉大学の附属小学校は、毎年6月に公開研究会(2日間)を開催する。その日の授業のための学習指導案作成は、ゴールデンウイークのあたりだ。来る年も来る年も、机に向かって仕事をした。公開授業時数は、1人2時間。そのうち1時間の指導案は精案、1時間のが略案である。

この学校に勤めている人は、「公開研は当然」と思っている人ばかり。新採用の折は、それを承知で赴いた。千葉大学附属小は、明治時代に千葉師範学校の附属小として発足。教員養成校の使命でもある公開研は、明治のころから始まって、太平洋戦争中も敗戦後も開催されている。なぜ公開研が6月に開かれるか、それを考えてみよう。

■国定教科書の時代

かつては、教科書にカバーを付けたり、書き込みを避けたりすることが、“教科書についての躾”であった。兄姉が使った教科書を弟妹が用いることが多かったから……。お気づきの方もいると思うが、明治・大正・昭和と、教科書は有料購入したのである。無償給付は、昭和30年代以後と承知したい。

そして、教科書は“国定教科書”である。著作者は文部省。国が“教授要目”を定め、各学校はこれに従って授業を展開した。そうなると、「今年の授業の力点は何か」「いかなる授業を行うことが大事か」などが、学校・教師の関心事となる。

それに応えようとしたのが、各地の師範学校附属小学校であった。それも、各年度のスタート期での開催が望まれた。

■田植え休みを利用して

かつての学校は、農村部を中心に「田植えのころ」を、「農繁期休業」とした。児童も、大事な労働力である。田植えといえば、6月ではないか。学校が農繁期休業であれば、教師も“附属の公開研修会”に参加しやすいではないか。6月であれば、年度初期。教師の研修の機会となったと想像できる。

ところで、「6月では、新任の人に気の毒」「研究まとめの年度末近くに公開したら」「1人2時間の授業より、1時間でいいのではないか」などの声は、昭和50年代になると校内から出始める。公開研の時季変更の学校もあるし、公開研時数の縮減の学校もある。これも、時の流れなのだろうか。

(元公立小学校長、千葉経済大学短期大学部名誉教授)

関連記事