【連載】「いじめ問題」の解剖学 第15回 いじめ被害者の世界④

立教大学文学部教授 北澤毅

 

私のいじめられ日記(2)

怜は、親友に告げられて初めて、自分が「いじめられている」のに気づいたという。そうだとすれば、それまでの過去の出来事は「いじめ」といえるのだろうか。これが今回の主要な論点であるが、その前に確認しておきたい点がある。

まず第一に、怜は、親友からの報告があった2月13日を起点として自分の過去を振り返り、「前からいじめられていた」と考えるようになったという。いわば、過去の書き換え実践であり、それは、「今から考えればいじめだった」(47ページ)と書いていることからも分かるだろう。

そして、2月13日以降この本が執筆されるまで、怜は、一貫して「いじめ」という解釈枠組みによって特定の人間との相互行為を解釈し続け、その経験を日記につづったということになる。

次に注目したいのは、怜と母親とのやりとりである。親友からの報告によって「いじめられている」ことに気づいた怜は、母親の提案を受け入れ、担任教師に相談することになる。しかし実は、その前夜にも、友人関係の困難について母子で話し合いをしたという。だがその段階では、担任教師は相談相手として登場しなかった。つまり母親は、娘が「いじめをうけている」と認識したからこそ担任教師への相談を提案したのではないかということだ。

もしそうだとすれば、「いじめは、友人間のトラブルというより学校問題であり、教師は適切に対応すべし」とする役割期待が想定されているといえるだろう。だからこそ、いじめられた証拠として落書きされ、破られた生徒手帳を見せても、怜の期待通りに対応しない教師を強い調子で非難することが可能となる。

それにしても、手帳のエピソードは興味深い。日記を読む限り、生徒手帳が隠されたり落書きされたりしたのは、2月13日以前であったはずだ。とすれば、その当時怜は、生徒手帳をめぐる出来事を「いじめ」とは捉えていなかったに違いない。もちろん、当時であっても、生徒手帳が隠されたりすれば「嫌な思い」をしただろう。しかし「嫌な思い」と「いじめ」とは異なる現実であるということが、ここでの重要な論点である。

そうだとすれば、当時は、本人でさえ「いじめ」とは思っていなかった嫌な出来事を、今は「いじめ」の証拠であると思うから、教師も同じように解釈してほしいと要求していることになる。そして、自分と同じ解釈をしない教師を不当であると非難していることになる。

ここには重要な2つの事態が成立している。1つは、被害者の主張こそ正しいとする信念が表明されていること、そして第2に、教師や学校は、いじめ問題に適切に対応すべしという要請がなされていることである。

現代では、どちらも当たり前と思われるかもしれない。しかし、すでに論じたように、教師や学校がいじめ問題の当事者性を担うようになったのは、昭和60(1985)年以降である。それ以前の教師は、いじめ問題を指導する立場にはあったとしても、当事者性は担っていなかった。

その意味で、「初めて気づいた」のを契機として、怜の世界は激変したのであり、ここにこそ、現代のいじめ問題(言説)の重要な特徴を見て取ることができる。

つまり怜は、自分の身の上に起きた「嫌な出来事」に苦しんだというよりも、いじめ言説に囚われることで独特の苦しみを味わうようになったということである。

では、その苦しみはどのような特徴をもつものなのか。日記に色濃く表れている孤独感と希死念慮に注目することで、明らかにしたいと思う。

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