【連載】いつからいつまで特別支援 第13回「個別指導計画」誕生秘話(その③)

臨床心理学士 池田敬史

 

私は幸いにも、米国が全障害児教育法を制定した1975年の12年後に、米国の現地で、同法とIEP(個別教育プログラム)の実情を視察する機会に恵まれました。それは、1987年(昭和62年)に、文部省(当時)の海外教育派遣研修生に選ばれ、16日間、米国の教育を視察する機会を得たことによります。

各校種の研修生の中で特別支援教育(当時、心身障害教育)では私1人でした。米国ではカリフォルニア、アリゾナ、マサチューセッツ、ニューヨークの4州を訪問し、学校や教育関係者、PTA団体などとも情報交換ができました。

米国は実は、障害児の教育、とりわけ公教育はかなり遅れており、ほとんどが私学、プライベートスクールに委ねられていました。かのヘレンケラーも富裕層の障害児が全寮制で学ぶ、私学の盲学校の出身でした。また第34代大統領のジョン・F・ケネディがマサチューセッツ州の下院議員時代に障害者のための施策に力を入れていたこと、それは彼の妹に当たるケネディ家の長女ローズマリーが知的障害者であったためということも知りました。

余談ですが、外で友人となかなか遊ぶことのできない姉のために、妹のユーニスは、障害児も含めた近所の子どもたちを広大なケネディ家の庭に休日に招待し、さまざまなリクリエーションを行ったといわれています。

その後、ユーニスは、スペシャルオリンピックを創設し、初代の組織委員長となります。ユーニス・シュライバー・ケネディです。現在のスペシャルオリンピックは、60年ほど前にケネディ家の庭でのリクリエーションから始まったことになります。

ローズマリーはその後、1950年から60年初頭にかけて米国で頻繁に実施された、知的障害の治療法とされていた前頭葉の一部を切除するロボトミー手術を受けますが、手術は失敗。そのため状態が悪化し、その生涯を施設で過ごしました。暗殺や事故死などの悲劇に見舞われたケネディ家にあって、ローズマリーは80代後半まで施設で暮らし、天寿を全うしました。

後年、都教委で個別指導計画の作成メンバーの1人となる主任指導主事の岸本啓吉氏から米国の特殊学校教諭時代、サマースクールで偶然、ローズマリーの指導に当たった経験を聞き、感慨深いものを覚えました。

米国では、公教育においても教師は契約制であり、学期が終わると長い夏休みには、大学の夏季講座で上位資格を取得する。サマースクールで経験とステータスを高めるなど、努力を続ける環境に感嘆しました。その障害児のために作成したIEP通りに授業が進まない、短期の指導目標が達成されないと、その分、授業日数を延長してIEPを達成する。中にはIEP通りに授業成果が上がらない、子どもたちが伸びないと保護者から行政訴訟を起こされて裁判になったケースも現地で聞いた話でした。

後年、校長であった東京の小平特別支援学校で、重度の脳性まひの児童が父親の転勤のためにニューヨークに転居しました。その後、母親からIEPミーティングの結果、病院併設の特殊学校での指導と、多様な支援サービスを受けているとの報告がありました。

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