【連載】「いじめ問題」の解剖学 第20回 いじめと教師①

立教大学文学部教授 北澤毅

 

分かりやすい言葉の功罪

「気づいてますか、いじめのサイン」

これは、新聞折り込みチラシに書かれていたスローガンであり、森田洋司大阪市立大学名誉教授が監修し、文部科学省の名前で作成されている(平成26年2月23日)。裏面は「いじめのサイン発見シート」と名付けられたチェックシートになっている。

いじめ研究の第一人者と文部科学省が、「いじめのサインに気づくべきだ」と訴えているわけで、このメッセージには揺るぎない権威性と正統性が付与されている。

さらに昨年10月12日の朝日新聞夕刊トップには、「『いじめ』共有 怠れば処分」という大きな見出しのもと、記事が掲載されている。これは、同年6月に発足した「いじめ防止対策協議会」が打ち出した方針であり、いじめに関する情報共有を怠った場合、教職員は懲戒処分の対象になり得るという。

いじめ自殺事件がマスメディアで報道されると、教育委員会や学校は過酷なまでに非難されるようになって久しいが、それに歩調を合わせるかのように、文部科学省もまた、いじめ問題への学校対応について要求水準を引き上げているように思われる。

それとも、「いじめのサインに気づけ」や「情報を共有せよ」は当然の要求だと思うだろうか。だからこそ、マスメディアは学校関係者を非難し、文部科学省も教職員に懲戒処分の通知をしようとしているのだ、というように。

これら分かりやすい言葉は、分かりやすいがゆえにすんなりと社会に受け入れられていくが、だからといって事態を的確に捉えているとは限らない。それどころか、分かりやすい言葉は、それぞれの事例が抱えている複雑な事情を看過する働きを持つことがあり、そのことによって、加害少年たちはもとより学校関係者は発言を封じられてしまう恐れがある。

もちろん、分かりやすい言葉が正鵠を得ていることもあるだろう。経験的には、そういう場合も少なからずあるからこそ社会に受け入れられているに違いない。

しかしまた、世の中は複雑怪奇なものだという言い方にも一面の真実があるとすれば、私たちは分かりやすい言葉に逃げ込むのではなく、複雑な事情をそのまま受けとめ理解するために想像力と思考力を鍛える必要がある。

そういう思いから、「いじめのサインに気づくはずだ」「情報を共有せよ」といった分かりやすい言葉が、いかに「いじめ問題」を混乱させてきたかを明らかにしてみたい。そこを踏まえなければ、「いじめ問題」への教師の向き合い方を論ずることはできないように思う。

一般に、いじめ問題との関係における教師は、いじめを発見し指導することを期待されている。またそうであるからこそ、いじめ自殺といった悲劇的な事件が発生すると、「なぜいじめに気づかなかったのか」「なぜ自殺のSOSに気づかなかったのか」などの非難を受けやすい。

それにしても、いじめが社会問題化した1980年代から今日まで、ことあるごとにこの種の非難の言説が教師に向けて繰り返されてきたのはなぜなのだろうか。

この問いに答えるために、まずは非難の言説を背後から支えている教師観、いじめ観、児童(生徒)理解観に焦点を当てて論じたいと思う。

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