【連載】教師のためのセルフコーチング 11 周りの当たり前を考える

京都文教大学准教授 大前暁政

 

人は、今の環境を「普通のもの」ととらえて生活しています。

しかし、過去を振り返ると、「おかしさ」を感じていたかもしれません。

教師になったばかりの頃を思い出してみてください。

教師として学校で生活する中で、何か違和感を抱いたことはなかったでしょうか。

例えば、宿題のチェックを保護者にさせていること。

忙しい保護者もいます。しかし、学校によっては、丸付けや音読のチェックなどをさせているわけです。

学校によっては、宿題が統一されているところもあります。

「担任の工夫があってもよいのではないか」「学級の実態によって、軽重を考えてもよいのではないか」といった疑問がわいてきます。

宿題一つとっても、学校によってやり方はさまざまです。

そのやり方に、疑問を持ったことがあるかもしれません。

新卒の頃は、学校の中のさまざまな「おかしさ」に気付くことができました。

ところが、その違和感は、年数が過ぎていくごとになくなっていきます。

年数が経ち、ベテランになるにつれて、自分がおかしいと思っていた活動を、若手に強要する側にまわってしまうのです。

「私の学級が音読を宿題に出しているのだから、あなたも合わせなさいよ」、といった具合です。

時々、自分の周りにあふれている「当たり前」の中に、おかしいことはないかを、考えてみるとよいでしょう。

考え出すと、いろいろな「不思議」が見つかるはずです。

「なぜ、運動会というものがあるのだろうか」

「なぜ、義務教育段階では、掃除を子供にさせているのだろうか」

「テストを自明のこととしてやっているが、他に方法はないだろうか」

毎年当たり前のようにやっている活動をについて、一度、どういった意味があるのか考えてみるのです。

すると、活動の意味に気付いたり、改善点が見つかったりします。

「運動会以外の活動はできないだろうか」

「テストだけでは測れない学力は、どうやって測ればよいのだろうか」

教師生活が長いほど、教師の価値観は、一定のものに固定していくことがあります。

自分が「当たり前」と思っている事柄が、実は当たり前ではないということも、よくある話です。

時々、教師である自分の中の当たり前を、もう一度考え直すようにしてみると、よりよい教育活動につながることがあるのです。

若手に話を聴くのも効果的です。

特に、教師になったばかりの若手教師は、「教育活動のおかしさ」に気付いている場合が多くあります。学校や教師を変えるのは、若手のこの新しい視点である場合も少なくありません。

ベテランになるほど、自分を振り返る意味でも、若手教師との対話が大切になるのです。

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