【連載】アクティブ・ラーニングとICT活用 ⑧ 暗転型の授業を超えて

文教大学教授 今田晃一

 

提供される資料や映像は判断の基準となる知識習得のために
提供される資料や映像は判断の基準となる知識習得のために

ICT活用と情報モラル教育は、車の両輪である。情報モラル教育は、情報教育が目指す「情報社会に参画する態度」の中でも、特に重要な項目になっている。ところが、わが国の情報モラル教育は、まだ的確な判断ができない児童生徒を守り、危ない目に遭わせないことを第一義に考えた「情報安全教育」の側面が大きい。

確かに、現在もインターネットやSNSではさまざまな問題が日々起こっており、児童生徒を不用意に情報ネットワーク社会に参加させるのは、予想もできない危険にさらすことになりかねない。そのため、「〜をしてはいけない」「〜は危険である」という、いわゆる「暗転型の情報モラル教育」の実践がほとんどとなる。

ただ、情報モラル教育自体は、善悪の判断だけでなく、自分自身に関わる答えのない問いに対する判断力を養う場となる。そうした場として、暗転型を超えるさまざまな授業実践を試みたい。

そこで、埼玉県越谷市立大袋小学校(横崎剛志校長)で、1月に行われた研究授業から、その可能性を検討したい。

同校の清水祥平教諭による「映像教材によるゆさぶり」に留意した実践は、地元で発生した竜巻被害に関するツイッターの記事を導入としている。「たまたま撮ってツイッターに上げた竜巻の映像に対して、新聞社や各種メディアから使いたいという依頼が殺到した。あなたならどうしますか?」という問いについて、個人とグループで考える授業である。これは地元で実際にあった事例を基に構成されている。

児童は、映像を渡す、渡さないをその根拠とともに判断するのであるが、途中で数回の映像教材(NHK For Schoolなどを編集したもの)を視聴する。映像のインパクトは大きく、視聴のたびに判断基準が両極端に振れる児童が多い。もちろん、この問いにも明確な答えがあるわけではない。複数の教員が同じ授業を行ったところ、ポジティブな意見に対しては先生のコメントによって最終的な判断への影響力が甚大であること、その先生が児童から信頼されていればいるほどその影響力が大きいことが明らかになった。

映像や資料で学習者に与える情報は、あくまでも判断の根拠となる「知識」が充実しているものを準備したい。最終的な判断の結果にかかわらず、少なくとも判断基準となる知識を多く学べたことが充実した授業である、と捉えることが判断の結果以上に大切である。

清水教諭は「このようなポジティブな情報モラル教育こそ、開かれた教育課程への一歩として授業参観で保護者と共有したい」と語る。暗転型を超えようとする「情報モラル教育」の構築と実践こそ、ICTを活用するアクティブ・ラーナーとしての教員の真骨頂である。

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