【連載】子供の心を豊かに 自己肯定感を問う 第1回 分析すると時代が見えてくる

白梅学園大学長・白梅学園短期大学長 汐見 稔幸

最近、子供や若者の育ちを論じるときに、「自己肯定感」という言葉がよく使われるようになった。ちょっと前までは聞くことのなかった言葉だと思う。手もとの古いバージョンの広辞苑には載っていない。

新しい言葉だけに、使う人によって、意味しているところは微妙に異なるようだ。

中には、自信があるということと近い意味で使っている人もいる。「ハードな練習のおかげで、選手の中にじんわりと自己肯定感が育ってきた」など。

しかし多くの人は、これとはやや異なった意味を持たせてこの語を使っているようだ。言い換えが難しいのだが、自我の深部にある、あれこれ得意不得意があるということとは直接に関係のない、自分が存在していること自体への肯定感、というような意味合いでの使い方だ。これが低いと、困難があったときに、それを乗り越える「自分は大丈夫」という心の砦のようなものがないことになり、引きこもったり不登校になったりしやすいといわれる。

これに近いが、人々の前であれこれするときに、悪びれずに、相手が誰であっても堂々と振る舞えるような態度を指す場合もある。「力があるのに、自己肯定感が低いのか、あいつは自信がないように見えるんだよな」というような使い方がそうだ。

こうした言葉が登場してきたのは、社会の変化が背景にあったからのように思う。

一つは、対人関係が生活でも仕事でも大きな比重を占めるような社会になってきたことだ。農業や漁業、あるいはラインに沿った流れ作業などが主だった仕事の時代には、人の前で堂々と振る舞うとか、対人関係能力が高いということは大事な要件ではなかった。相手に応じて柔軟で的確な対応ができる人は、自己への信頼感がそれなりに必要といえるからだ。

もう一つは、不登校の子供たちに見られるように、価値観が多様化してきて行動の仕方も多様になっているのに、家庭や学校の価値世界が狭いままで、特定のタイプの行動や価値選択をするときしか評価してもらえないというような状況があることだ。

関係がミスマッチ状況、つまり関係のあり方が問題なのにそう思えず、自分がいけないのかと思って自分を責めてしまう傾向の人が多くいる。こうした精神傾向を指す言葉が必要になってきたのだ。

自己肯定感という言葉を分析していけば、時代が見えてくる可能性がある。少しこのことに挑みたい。