みんなで「教える難しさ」に立ち向かう―22年の事実と実例に基づいて―(4)教えなければ分からない

eye-catch_1024-768_kouno学習教室「エルベテーク」代表 河野 俊一

前回、「学校全体で教えるためのスクラムを組みましょう」お伝えしました。そのヒントとなるエピソードを紹介します。

特例子会社(注)に就職して7年目になる、私たちの教室の卒業生の話です。彼は3歳のときに「精神発達遅滞」と診断され、就学相談では「とりあえず通常学級で様子をみましょう」と言われました。しかし、入学した時点から離席し授業を受けられず、校庭を走り回り、資料室の備品を壊していたのです。「どうにかしなければ」と考えたものの、対応できず見守るばかり。

どうぞとドアを開ける
どうぞとドアを開ける

彼は1年の2学期後半から私たちの教室で学習を開始しました。すると、授業中離席せず少しずつ学べるようになった変化に担任は驚いたそうです。「どんな指導をしたらこうなるのだろうか」と考え、私たちの教室を見学し、「しなくてはならないこと、してはいけないこと」を教える学習の仕方を知りました。申し送りを受けた2年から6年までの各担任も同じように見学に来ました。つまり学校全体で彼に対する指導方針を共有していたと言っていいでしょう。

その後、中学校も通常学級で学び、高等特別支援学校を経て、流通関連の会社に就職しました。

彼の成長のポイントは何でしょうか? 応じる姿勢を身に付け周りから教わり学べ、根気よく物事に取り組めるようになったという点です。その積み重ねは現在の職場でも生きています。今では後輩を指導しているとのことですが、学校教育と学習の成果が子供の成長に結び付いていることを端的に示すエピソードではないかと思います。

いま、教育の世界は一つのムードに覆われているように感じられます。「ありのままでいい」「無理はさせない」「子供の気持ちを尊重する」という言葉に表れている接し方です。それを優先させるとき、教育の視点が抜け落てしまうのではと危惧します。

12年前に「広汎性発達障害」と診断された中学生がいます。父親は公立高校の英語教師ですが、いみじくも教育の大切さを次のように指摘しました。「実は、知的障害に『医療的なアプローチ』も『療育的なアプローチ』も存在しないのです。結局は『教育』に期待するしかありません。教育は、子供の現状を人為的な努力によって変革していく営みです」。教育の意義を常日頃から意識している教師だからこそ言える言葉です。子供に対する教育では、意識して教えない限り何も始まりません。大人の教育でも教わらなければ分からず、必要な力が身に付きません。この「教えなければ分からない」という事実をみんなで共有すべきではないでしょうか。

(注)障害者の雇用促進と安定を図るため、事業主が障害者の雇用に特別の配慮をして設立した子会社。