多文化共生教育の最前線 [横浜市立飯田北いちょう小学校の実践から](6)ブラジルの教育から学ぶ①

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昨年開催されたリオデジャネイロオリンピック。多くの日本選手の活躍で盛り上がった大会だった。

一方では、「難民」という立場で、母国から出場できない選手が、「難民選手団」として初めて出場した、特別な意味を持った大会でもあった。特に、柔道に出場したコンゴ民主共和国出身の2人の選手は、ブラジル政府から難民と認められブラジルで暮らしている。

ブラジルでは、難民保護政策として、母国において迫害の危険性がある人々に対して、積極的に「人道ビザ」を発行し、合法的かつ安全にブラジルに入国できる道を開いている。

日本語を学習するブラジル小学校
日本語を学習するブラジル小学校

地球儀でみると、日本の反対側に位置するブラジルは、まさに私たち日本人が、今後目指さなければならない「多様性に富んだ国」なのである。

そんなブラジルから、日本の学校教育に生かせる取り組みを探しに、オリンピック閉会後にブラジルを訪れた。

ニューヨークから約8時間かけてサンパウロに入る。それからさらに数時間かけてブラジルの北部、アマゾン川流域にあるブラジル第三の都市、マナウスに到着したのは、日本を飛び立ってから、約38時間後だった。

最初に訪れたのは、アマゾネス連邦大学。キャンパスは、愛らしいナマケモノが出現するジャングルの中にあった。

この旅の目的は、ここで開催される日本語・日本文化学会に参加することであったが、改めて日本から遠く離れた異国の地で、日本語教育や日本文化が大切に語り継がれていることに驚かされた。

近郊の公立小学校を訪れたときには、歓迎セレモニーの中で子供たちが「君が代」を披露してくれた。

この学校では、週に4時間の日本語学習をはじめ、理科と算数を週2時間ずつ、日本語による学習(日本語イマージョン)をしているという。関係者は、「単に日本語を学ぶだけでなく、日本語を通して日本独特の文化(規則正しさ、勤勉さなど)を導入している」と話していた。

このように、ブラジル社会の中に日本文化が浸透しているのは、明治41年に日本から移民としてブラジルへ渡り、以後約25万人もの日本人が移住するという、100年を超える深いつながりに起因している。

マナウス日本人学校を訪問した際、日本人児童がブラジル代表のセレソンのユニホームを着て、街中でブラジルの若者が日本代表のユニホームを着ている姿を見たとき、多文化共生社会を形成するために大切なことを学んだような気がした。

(国際教室担当教諭 菊池聡)

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