学びから創るコミュニティ (1) 地域の未来と教育

eye-catch_1024-768_yamazakiコミュニティデザイナー 山崎 亮

仕事柄、全国各地を旅して人々の話を聞く。特に気になっているのは次のような話だ。「子供が東京の有名大学に進学した親は鼻高々で、地元の高校を卒業して就職した子供の親は引け目を感じている」のだという。

ところが20年後には、立場が逆転していることが多いらしい。有名大学に進学した子供は大企業に就職し、海外勤務になったり東京在住のままになったりする。ふるさとに戻って親と同居や近居する可能性はほとんどないどころか、盆や正月にも実家に戻らないほど忙しい。一方、高卒で地元企業に就職した子供は結婚後も地元で暮らし、親は頻繁に孫の顔を見に行くことができる。老後の心配も少ない。

地域の人たちは、若者の流出、地域の担い手不足といった課題で話し合うことが多い。子育て世代が地域の未来を共有することで、家庭で語る「言葉」が変わっていく可能性がある。写真は山口県阿武町で開催されたワークショップ。特に若者を中心に、地域の未来を共有するためにさまざまなことを学び、何度も話し合いを行った。
地域の人たちは、若者の流出、地域の担い手不足といった課題で話し合うことが多い。子育て世代が地域の未来を共有することで、家庭で語る「言葉」が変わっていく可能性がある。写真は山口県阿武町で開催されたワークショップ。特に若者を中心に、地域の未来を共有するためにさまざまなことを学び、何度も話し合いを行った。

この種の話を聞くたびに、教育はどうあるべきなのだろうと考えさせられる。保護者や地域の人たちは、若者が偏差値の高い一流大学に進学することばかりを褒めたたえていてよいものだろうか。子供たちは受験勉強を、一種のゲームか苦行のように乗り越えることばかりに集中していてよいものだろうか。

地域から人材が流出し、若者が地域に戻らない状況が続き、新しく仕事を生み出す人も少なく、子育て層が少なくなれば、小学校や中学校が統廃合になる。その結果、さらに子育て層が減って相対的に高齢者ばかりが目立つようになる。子供たちは「幸せに暮らす」ことの意味を考える時間もなく、とりあえず目前に迫った高校受験や大学受験を乗り越えることに必死でいる。

しかし、もし「幸せに暮らす」ことが、本人にとって気心の知れた友達と過ごす時間や、家族と共に囲む食事などから構成されるのだとすると、偏差値で測れる認知的能力だけを高めることで、果たして幸せに暮らすことができるのだろうか。

偏差値を高め、有名大学に進学し、有名企業に就職できれば、自動的に「幸せな人生」へとつながっていくという幻想を抱きながら、地域を出ていく若者たち。そうした若者たちを賞賛する保護者や地域住民たち。この繰り返しがまちづくりや地域づくり、コミュニティデザインなどという仕事を必要とする世の中をつくってしまったのかもしれない。各地で人々の話を聞くたびに、そんなことを考える。

私は自分の仕事をコミュニティデザインと呼んでいる。まちづくりや地域づくりに近い仕事だ。地域の人たちに集まってもらい、地域の未来について語り合い、できることから活動を開始してもらう。こうした過程を支援するデザイナーである。

上記のような教育に対する問題意識は、この仕事に携わる中から生まれてきた。

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〈プロフィール〉

studio―L代表。東北芸術工科大学教授(コミュニティデザイン学科長)。慶応義塾大学特別招聘教授。まちづくりのワークショップや住民参加型の総合計画づくり、市民参加型のパークマネジメントなどのプロジェクトを行っている。