現代リベラルアーツ教育論~熱き心とクールな頭脳を育てる(5)奇想天外的な視点こそ強み

eye-catch_1024-768_takeuchi_fin山梨学院大学国際リベラルアーツ学部 学部長補佐/認定NPO法人 Teach for Japanアドバイザー
武内隆明

社会を「人が会う社」と考えると、各構成員の強みと弱みを補完し合うような場所であるべきだ。それはある意味、「全ての卵を一つのバスケットに入れてはいけない」という、投資の大原則と一致する。投資では、必ず「分散」させるのが王道だ。人間関係に当てはめると、闘争心が強いリーダーには、あえて争いに慎重な補佐や取り巻きに補完・補助させるのが得策なのだ。

では、各自の生まれながらの強み・弱みを見極め、それを補い合うような「社」を構築できるのは誰だろうか。

おそらく、昭和以前の名経営者と呼ばれた人たちはそれが可能だっただろう。社員の家族構成や兄弟などの生い立ちまでをも、知り尽くしていたからかもしれない。

しかし今日、このような手法で社員の個性を把握するのは、個人情報などの問題でほぼ不可能だ。だから、生物学的なDNA判定による性格診断や、人生の蓄積に基づいた価値観判断テストなどで行動パターンを分類し、各自の強み・弱みを読み解くという昨今の風潮は、時代に合っているのだろう。

技術がもう少し進歩して、より高度なデータ分析が可能になれば、潜在的なストレス耐性を数値化し、成長可能性の高い職種とのマッチングが飛躍的に増えるかもしれない(一部の企業では既に始まっている可能性もある)。

だが、ここで忘れてはいけないのは、そのようなアドバイスを提案するデータや機械、AIなどを作製してプログラムを提供するのは、ほかでもない「人間」であるという点だ。

例えばAI分析で、「C国の核武装が国際社会にもたらす危険度を鑑みると、今後のB国とN国の政府は極めて戦闘的な首脳を選出する必要がある」と結論付けられたとしよう。そのとき、データの正確性や客観性などを度外視して、「戦争を避けなければいけない」とストップをかけられるのは、理性と本能のバランスを備えた「人間」だけなのだ。

しかし、戦争に突入した場合の死傷者数や、復興にかかる時間、資金などの多方面にわたる入り組んだ長期的シミュレーションさえ付加されるようになれば、もはやそのときは、人間がコンピューターの前にひざまずく「シンギュラリティ」が到来したということかもしれない。将棋や碁、チェスなどの読み合いでは、既にAIは人間を上回っている。

いっそ、空爆などの北風戦略が効かないのであれば、南風戦略で、飢えているといわれるC国民にアメや食料をばらまくのはどうだろう? 無駄な人命が奪われることはないし、それどころか、飢えた国民は元気になって、政府の一方的なプロパガンダに疑問を抱き始め、現政府に対する革命の動きが内側から巻き起こるかもしれない!(終戦直後の米兵が、日本の子供たちの「Give me chocolate」でチョコをジープからばらまき感謝されたというのは、戦争を知らない世代にも語り継がれている)。

このような「どうせダメだろう」との固定概念にとらわれない、奇想天外的な視点こそが、本来の人間ならではのバランス感覚を有する強みではないだろうか? そして、「戦争を避けたい」という強い気持ちは、世界中の(特に父、母になった)人間が持ち合わせる、共通した感情であることは間違いないはずである。