現代リベラルアーツ教育論~熱き心とクールな頭脳を育てる(8)共通の魅力が溢れている理由

eye-catch_1024-768_takeuchi_fin山梨学院大学国際リベラルアーツ学部 学部長補佐/認定NPO法人 Teach for Japanアドバイザー
武内隆明

よく言われる「コップの水理論」を例に出そう。コップの中には半分の水が入っている。客観的数字では「50%」である。しかし主観的、つまり、「心の在り方」によって、「もう半分しかない。新たに何か注ぎ足す方法を探さなければ」とパニックに陥る人もいれば、「まだ半分も残っている。他のことを楽しむ余裕も十分にある」と、どっしり構える人もいる。どちらの人生が「幸せ」かは明らかだろう。

私は、ウォール街ですでに数億円も稼いでいるのに、「まだまだ不十分!」と自分の人生を駆り立て、揚げ句の果てには離婚したり、健康を害したりしている人を何人か知っているし、実は、自分もそれに近いような危うい時期があった。現在、私は大手企業の社長でもなんでもなく、金銭的にも適度に倹約を意識せざるを得ない毎日を送っている。それでも、アジアの若者に接して自分の体験談をシェアするのをライフワークとし、若者たちにキラキラした瞳で真剣に聴き入られる日々は、プライスレスに充実している。

これはリベラルアーツの全寮制カレッジで、多様な教員や学生からさまざまな刺激を受け、物事を多面的な視点からポジティブに受け止める姿勢が習慣付けられているからだ。この習慣があるからこそ、私は絶えず新しいことにチャレンジし、上手くいかずともへこたれないタフな心構えを身に付けることができた。

こうした資質を養うには、海外留学が不可欠なのだろうか。決してそうではない。

旧制高校と米国の名門リベラルアーツカレッジとの類似性は、すでに述べた。それらと、例えばだが、現在の筑波大附属駒場高校や都立西高校・日比谷高校、私立の開成・麻布高校などの名門とされる高校の共通点は、その自由闊達な校風だ。

教員が生徒を信頼し、彼らが何を考えて何をするのかを委ねる。生徒たちはその「自由」な時期に、さまざまな物事に挑戦して自分の強み・弱みを知る。自動車のハンドルの「遊び」の機能の重要性を知り、アクセルとブレーキのギアチェンジのタイミングを習得するのだろう。

夢中になったり、挫折を知ったり、飽きたり、冷めてしまったり。いろいろなことがあるが、若いときはそれら全てが貴重な経験なのだ。何事にも夢中になれず、あえて挑戦しようともせずに、「やってもしょうがない」「どうせできない」と言ってブレーキを踏み続ける青春時代は論外で、悲しすぎる……。

非常に痛恨なのが、開発途上国や中国など他のアジアの若者と比べて、今日の日本人(若者含む)に、その傾向(「諦めムード」満載)が強く見受けられ、「このままではマジに超ヤバいぞ、ニッポン!」と心底、不安になる。

砂場で大きな山をつくるときには、裾野が広くないと高く積みあがらない。私たちの人生もまったく同様で、さまざまな経験という裾野があってはじめて自分の考えが積み上がり、将来、高い視野を得られるのだ。そのためには、理系とか文系とかの垣根は不要どころか邪魔にさえなり得る。若いときには、読書したり旅行したり、尊敬できる人の話を聞くべきだ。本も旅も人の話も、時空を飛び越えて異なる文化に接する絶好のチャンスだ。

インターネットの恩恵をフルに享受し、過去の偉人の演説や、インタビュー、有名教授の授業(MOOK)、TED、Youtubeでの名演奏など、ほぼ無限に学習できる。一流の教材は、この世の中にあふれている。それだけに、それらを無駄にせず、有益に見るか見ないかによって、人生に雲泥の差が生じてきてしまう。ある意味、自分を奮い立たせられない若者(や先生方)には、AIやロボットなどの参戦もあり、すでに恐ろしい時代に突入しているのである。

登山にはまっすぐ一直線で登る方法もあるが、人生と同様、ペースも難易度も異なるルート(キャリア的には、サラリーマン、野球選手、すし職人、音楽家など何でも)は無数にある。国や地形(文化)によって、気温や風速などさまざまであろう。しかし、山に登る人は、頂上から見える景色だけでなく、その過程の方にも、その価値を置き、ワクワクしながら楽しんでいる場合が多い。その結果、どんなルートやスピードで登っても、山の頂上を極めた人は共通して、卓越した視野と「熱い」心、「クール」な頭を兼ね備えている。

人それぞれキャリアの道は違っても、一流といわれる人たちに共通した魅力が溢れているゆえんであろう。

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