中学校道徳科の授業―道徳的判断力を養う―(8)発問は事前によく検討する

東京都品川区品川学園 主任教諭 戸上 琢也

これまで、実践事例をいくつか紹介してきた。授業で重要なのは、発問や議論する課題の設定だ。どこをどのように問うか、教師の明確な指導観に基づいて、事前に発問をよく検討しておけば、授業での生徒の活動や思考がよりよいものになる。

今までの「道徳の時間」は、気持ちばかりを問う心情理解のみに偏った形式的な指導であったと「学習指導要領解説」の改訂の経緯にも示されている。ほとんどの場合、「このときの、○○(主人公)は、どんな気持ちだったか」というように、場面ごとに同じような発問ばかりだった。

小学校低学年段階では、道徳的な心情の育成は大切である。心情理解を通して、判断の根拠や理由も考えていく。身心共に成長し、さまざまな経験をしてきた中学校段階で「○○(主人公)の気持ちは」と、そればかり問うていたらどうだろうか。「そんなの分かりきっている」「毎回、分かりきったきれいごとばかり言わせようとしている」「分かっていてもできないから悩むんだよ」と言われるだろう。

中心発問「なぜ、瞳さんは精いっぱい生き抜くことができたのか。」(「命を見つめて」の授業)

学級経営や生徒指導も同じだが、教師自身の自己満足で終わることなく、常に生徒の側に立って物事を考えていくことが、授業を創る上で必要である。また、よりよい道徳科の授業を創るのは、生徒の学習意欲を高め、生徒の心を耕し、学級経営にも役立つ。

それでは、どのように発問を工夫していけば、よりよい道徳科の授業に近づくことができるか。道徳科の教材のほとんどは、悩ましい主人公がいて、その主人公を中心にある出来事が発生する。その出来事の中で、ある物事やある人物に出会い、主人公が道徳的な気付きを得る、という起承転結の構成が多い。

その出来事が発生し、悩み心が揺れる場面や、ある物事や人物に出会い、道徳的な気付きを得て心が変わる場面で、狙いに迫る中心発問を設定する。その際、今までのように、気持ちばかりを問うのではなく、「○○は、なぜ~したのか」などの行動の背景を問うたり、「~したことについてどう思うか」と主人公の行動の在り方を問うたり、「もし、自分だったら」と自分自身に投影させて問うたり、さまざまな発問で多様に考えさせることが鍵となる。それが判断力の育成にもつながる。

中心発問に至るまでの場面で、判断の根拠や理由となる主人公の気持ちを考えさせることも大切であるが、一つの発問形式に偏らないことが肝心だ。「道徳の時間」のときも、道徳科になっても、よりよい授業への改善が求められている。