探究の学校をつくる~京都市立堀川高校の改革を振り返る(3)「探究」の模索で実践を深化させる

大谷大学教授 荒瀬克己

「探究」とは何だろうか。「探求」と区別していないものもあるが、例えば、広辞苑も明鏡国語辞典も三省堂現代新国語辞典も、「探求」と「探究」を使い分けている。

明鏡は、「探求」が「探究」と同義に使われることもあるとした上で、「『探求』には追求・探索の意味が、『探究』には研究・考究の意味が強い」と述べ、「探求」は「あるものを得るためにさがし求めること」「探究」は「物事の真の姿を明らかにし、見きわめようとすること」と説明している。

大きく改訂された次期高等学校学習指導要領では、初めて加えられた「前文」で「教育課程」が、「第1章総則第1款5」で「カリキュラム・マネジメント」が定義されている。

何事も組織として取り組む際には、用語の定義が欠かせない。どれほどの厳密さを求めるかは別として、一定の「共有」がなければ、バベルの塔になってしまう。

1999年度から「探究」を軸に新たな取り組みを始めると決めた堀川高校では、当然、「探究」の定義もしていた。ただし、それは辞書的な意味においてだ。そのため、その定義を共有する努力はなかった。国語辞典に書いてある言葉の意味は、知っていて当たり前だからだ。

共有の甘さが露呈したのは、堀川版「総合的な学習の時間」の「探究基礎」について検討を進めているときだった。

当時は、「教科等を超えた横断的・総合的な学習」という言葉を、「教科の教員」はなかなか理解できなかった。「あるテーマに関して、すべての教科の教員が何らかの形で関与するのが『総合的な学習の時間』」と解釈した教員が少なくなかった。

「5教科」とか「文理選択」といった「これまでの常識」を乗り越えられると考えた教員がいたし、そんな中途半端なことをやってどうするのかと思う教員もいた。そして、多くの教員が何をすればよいのだろうと思案していた。こうなると、そもそも「探究」とはいったいどういう意味かという声も出てくる。

ある混乱が生じていた。しかし、これが重要だった。時間はないが、話し合わなければ前に進めない。メンバーが共有して取り組む大切さ、苦しさ、楽しさを知った。

「分からない」というつぶやきや「異論」が取り組みを深める。すると、模索が面白くなってくる。面白くなかったなら、きっと続かなかっただろう。

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