漫才づくりが教育を変える(4)汝(なんじ)自身の仁を知れ

東京理科大学教職教育センター准教授 井藤 元

前回は個性を絶対値で捉える芸人固有の価値観に触れたが、それは他者理解の場面のみならず、自己認識の際に決定的に重要となる。

「汝(なんじ)自身を知れ」。古代ギリシャのデルフォイの神殿に刻まれていたといわれるこの格言は、日々舞台で格闘する芸人たちにとって非常に切実な問題である。「汝自身」、それを彼らは「仁(にん)」と呼ぶ。「仁が分かれば売れる」「仁が出ている漫才は面白い」など、この言葉はさまざまな文脈で使用される。では仁とは何か。元々歌舞伎界の用語であり、容姿や人柄、声質など役者が持っている個性=その人らしさを指す。ある役柄が仁とうまくマッチしている場合「仁に合っている」と表現され、自然なパフォーマンスとして称賛される。だが、仁に合っていないと不自然さが現れ、すぐに観客に見破られてしまうのだという。

仁は漫才師たちに大きな葛藤をもたらすことがある。「やりたい漫才」と「やれる漫才」のはざまでの葛藤である。もちろん、両者が一致していることが理想だが、必ずしもそうであるとは限らない。どれだけネタの台本が面白くても、「私」が演じたときに面白くなければ意味がない。大ざっぱな性格の人が繊細なキャラクターを演じようとしても、そこに嘘(うそ)が生じてしまう。芸歴10年のある若手芸人は、元々ツッコミ志望であったが、仁を見極めた上で現在はボケを担当している。

学生たちも自らの「仁」を探る

仁を知るという課題は実に手ごわい。仁が分かれば、他の漫才師とキャラがカブることはなく、あまた存在する漫才師の中で唯一性が打ち出せる。だが、「私にしかできない漫才」を見つけることはこの上なく難しい。漫才師たちは日々、自分自身を知る(自己認識)という実存的課題と向き合っている。

しかも、一度知ってしまえば後は順風満帆というわけでもない。仁は年齢を重ねる中で変化してゆく。ゆえに仁の理解を更新してゆかねばならない。さらに、仁は単に知る(自覚する)だけでなく、場面に応じて見せ方を変える必要もある。シニア層と児童をそれぞれ対象とする場合、都度、仁の出し方を調整せねばならない。

仁を巡る以上の問題は、道徳教育・教師教育においても極めて重要な課題である。「自分自身を知る」ことは道徳の内容項目四本柱の一つに含まれる課題であるし、教師にも、仁に合った授業作り、生徒指導が求められる。内向的な仁を持った教師が無理に外向的に振る舞おうとしても不自然さが生じてしまう。教員志望の学生たちには、あこがれの教師イメージが自分の仁に合っているか、問い掛けることにしている。