漫才づくりが教育を変える(7)振り返りと立ち位置

東京理科大学教職教育センター准教授 井藤 元

仁(にん)を知るという課題の後には、それを的確に打ち出すことが求められる。プロの漫才師と共に授業を運営する中で、彼らのリフレクションの精度の高さには度々驚かされた。その姿はさながらプロ棋士のようである。

将棋の世界では対局後、開始から終局までを振り返る、いわゆる感想戦が行われる。棋士たちは一手目からの流れを全て記憶している。感想戦では一手一手に込められた意図が明かされ、悪手の場合はどこに打てば最善手となったか検討する。

笑育の授業後もまた感想戦が行われる。「あのときのあのツッコミはこうした方が良かった」「A君の発言で授業の流れが変わった」など、漫才師たちは一つ一つの場面を事細かに覚えている。振り返りの場面では総じて表情が変わり、授業中とは別人のようである。

自らが担うべき役割を俯瞰的な視点で探る

舞台上の漫才師は、没頭しつつ醒(さ)めている。その場の状況を誰よりも楽しみながら、上空からリアルタイムで全体の状況を常に見渡している。世阿弥が「離見の見」と表現したその境地は、論理的に考えればパラドックスに陥っているだろう。だが、彼らは矛盾を乗り越え、両者の同時成立を目指しているのだ。

振り返りの際に求められる俯瞰(ふかん)的視点は、彼らのポジショニングを見極める能力にも通じている。漫才師たちは与えられた状況の中で、自分がどの役割を担うべきかを瞬時に嗅ぎ分け、役目を全うする。

ボケとツッコミも固定された絶対的な役割ではなく、状況ごとに変わってゆく相対的な関係性にすぎない。AさんはBさんとの関係においてはボケ役に回った方がよいが、Cさんとの関係ではツッコミ役が適している、といったことも十分起こりうる。今この場所で自分に求められていることは何かを察知し、柔軟に立ち位置を変えてゆくのである。ここにおいて、状況に合わせて仁の出し方を調整することが求められるのだ。

漫才づくりにおいて、リフレクションとポジショニングのセンスは同時に磨かれる。これらの力が十分身に付いていなければ、魅力ある漫才を生み出すことができない。笑育の受講者たちは、自らの漫才を何度も動画で撮影し、問題点と向き合う。

漫才大会前に行われる前哨戦では、プロの漫才師の前でネタ見せを行い、受けたアドバイスを基に最後まで微調整を続ける。こうした積み重ねが授業づくりの際にも生かされてゆく。自分は子供たちからどう見られているのか。

今、ここでどう振る舞うべきなのか。笑育の受講者は観客席にもう1人の自分を座らせ、自身をそこから見つめる訓練を行っている。

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