漫才づくりが教育を変える(9)緊張感がアクティブにする

東京理科大学教職教育センター准教授 井藤 元

前回、場の空気が重い場合、漫才師たちは空気を瞬時に察し、状況を変える技術を身に付けていると述べた。だが、彼らはそもそも完全なホーム(安全)を望んでいるわけでもないのだ。この点が複雑で面白い。

優れた漫才師は緊張感と付き合うのがうまい。緊張感を味方につけることで観客の心をつかむすべを知っている。たとえ何度も舞台で披露しているスベリ知らずのテッパンネタであっても、慣れすぎてしまうと一つ一つの言葉の勢いが半減してしまい、観客の心を捉えることができない。ゆえに漫才師たちは惰性を恐れている。予定調和は彼らの敵なのだ。漫才師たちの主戦場である舞台(ライブ)の本質は、その「一回性」にあり、いま・ここでしか体験できないパフォーマンスを享受するために観客は劇場へと足を運ぶ。慣れは一回性の本質に反するため、避けねばならない。

緊張感を保つために漫才師が行っている工夫は、教師にとってヒントの宝庫である。例えば、あえてネタの台本に「あそび」を持たせ、アドリブの入り込む余地を残している者が多い。「余白部分に関しては本番の舞台に立ってみるまで、コンビの相方が何を言い出すか分からない」と言う。舞台上では瞬発的な対応が求められるため、気を緩めることができない。台本中の空白部分が、舞台に臨む彼らに緊張感をもたらし、ネタに慣れが生ずるのを防いでいる。

ネタの新鮮味を保つため、冒頭で時事的な話題を取り上げる漫才師も多い。時事ネタは時間がたてば古くなり使い回しがきかない。絶えず更新が必要となるわけだが、タイムリーな話題を差し挟むことで、やり尽くしたネタも新鮮さを取り戻せる。

漫才師から学生が学ぶものは多い

漫才師たちのこうした姿勢は、日々授業づくりを行っている教員にも求められるであろう。中学あるいは高校において、教師は同じ内容の授業を複数のクラスで行うのが常である。週に複数回、同テーマで授業を行う際、回を重ねるにつれて授業は洗練され、ある程度は生徒の反応を予期できるようになってゆく。だが、予知の精度に反比例して、教師の中で授業の新鮮味は徐々に失われてゆくのではないか。

とりわけ教師主導の教え込み型の授業においては、そもそもあそびの入り込む余地が少ない。そこでは教師があらかじめ準備した内容を正確に過不足なく伝えることばかりに意識が向けられる。だが、あそびを失った授業は教師自身の緊張感を損ない、授業全体の士気を下げてしまっている可能性がある。教壇に立つ上で、絶えず心に留めておくべきことを漫才師たちは思い出させてくれる。

 

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