漫才づくりが教育を変える(10)道徳・教師教育に生かす

東京理科大学教職教育センター准教授 井藤 元

最終回となる今回は、道徳教育・教師教育を巡る筆者の問題意識について触れ、漫才づくりに関する考察を総括したい。

道徳教育は規範教育的な側面が強い。もちろん、それは大切な課題であり、子供たちが社会の一員となってゆくために必要である。だが、規範的側面が強く打ち出された道徳の授業は、子供たちにとって分かりきったことをひたすらなぞり、良い子を演じねばならない退屈な時間となりかねない。

漫才づくりには、笑いという軽やかさの奥に道徳教育の根本的課題が控えている。笑いを真に追求してゆくと、他者を認め、かつ自分自身とも向き合わざるを得ないのである。子供たちが手探りでつかみとってゆく生きた智慧(ちえ)は、規範教育の場合のように上から押し付けられたものではない。漫才づくりの中で、子供たちは自己を知る、他者を尊重するといった道徳教育における中心課題に自然と向き合ってゆくのだ。

漫才づくりを通じて自由への扉を開く

漫才づくりは教師教育に際しても極めて有効である。教育現場でアクティブ・ラーニングが推進される現状において、学校教員は単に担当科目の知識を持つだけでは不十分であり、その担い手にはファシリテーション能力が求められる。だが、大学の教職課程に設置されている科目を見渡してみても、パフォーマンスに関わる力を育成する場はほとんど用意されていない。

とはいえ、ハウツー本に記されているようなテクニックを身に付けることが重要なのではない。自分自身の仁(にん)を知り、他者の仁を尊重する。この課題と向き合うことこそ、パフォーマーに求められているのだ。

笑育には模範解答がない。だから、一つの理想型(教師はこう振る舞うべき)へと受講者を押し込むものではない。この世に一つしかない仁に気付き、仁に合った授業スタイルを確立することが求められる。「私」にしかできない、私の仁に合った授業は必ずや子供たちを引き付けるはずだ。同時に、教師は子供の仁を引き出す役割も担うべきである。子供の仁を発見し、その魅力をクラス全体で共有する。キャラですみ分けされた教室ではなく、互いの仁をうまく引き出しあう学級づくりが求められているのではないか。

道徳教育と教師教育、両者は突き詰めてゆくと同じ一つの課題に行きつく。仁の探求は、どのような姿勢や振る舞い、ポジションが自分に合っているかを知る作業であり、それは人が真に「自由」に生きることへと通じている。

優れた漫才師からは自由の気風が漂っている。漫才づくりを通じて自由への扉を開く。その試みは始まったばかりである。

(おわり)

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