高校英語教育と大学入試(1) グローバル英語の意味


ココネ言語教育研究所所長、慶應義塾大学名誉教授 田中 茂範

今や英語は世界中で使われており、国際共通語としての地位を確立している。そのため、「グローバル英語」という言い方がされる。正確な統計はないが、ドイツの調査会社STATISTAの2017年調査によると、推定で15億人が英語を実用的なレベルで使用しているとされる。そのうち、母語として英語を使う人は3億7千万人程度で、圧倒的大多数が第二言語としての英語使用者である。

地域的にも、欧州はもとより、アジア、アフリカ、南米でも英語の使用者は増えている。英語嫌いで知られたフランス人も今では約4割の人が英語を使うことができるといわれる。これは、まさに、グローバル英語であることの表れであるが、このことは英語教育にどういう意味を持つだろうか。

これまでの英語教育は「外国語としての英語」学習として行われてきた。つまり、英語はそれを母語にする国で使われる言語で、英語の規範(正しさや適切さの基準)は、その国の文化が決めるという考え方が背後にあった。同時に、言語と文化は切り離すことができず、アメリカ英語を学ぶことは、米国文化を学ぶことであるという通念も優勢だった。

だが、英語を母語にする人は、英語使用人口の3分の1以下で、この数は今後さらに小さくなることが予想される。だとすると、英語でコミュニケーションをする相手は、英語の母語話者ではないということが往々にして起こる。極端な場合には、米国文化色の強い口語表現などは、国際的に通用しないということすら起こり得る。つまり、グローバル社会の中でアメリカ英語はグローバル英語の一つでしかなく、その言語的優位性は、確固たるものではないということである。こうした状況の中で、われわれは何を重視した英語教育をするべきだろうか。

理念的には、英語のグローバルスタンダードのようなものがあれば、それを身に付けることが英語教育の目標になる。だが、現在のところ、「標準グローバル英語」なるものは現れていないし、今後も現れることはないだろう。グローバル英語は変化と多様性が特徴だからである。そうした状況の中で、われわれは、英語教育のターゲットを定めなければならない。

筆者は、そのターゲットはアメリカ英語やグローバル英語ではなく、生徒一人一人の中に息づく「my English」だと考える。適切さを決めるのが「規範」だとすれば、「my English」の規範は、「文化規範」ではなく「場面規範」である。

タイ・バンコクのとある店で値段交渉をする場面と、国際学会で研究発表をする場面では、適切さのありようが異なる。どんな場面であれ、やりとりが機能的であることが肝心である。その際の鍵になるのが、「意味の交渉」である。日本語のやりとりでも、方言の差は相互理解を阻む原因になり得るが、意味の調整によって、やりとりは成立する。結論を言うと、英語教育が目指すべきは、英語母語話者のようになるのではなく、機能的な「my English」を身に付けた英語使用者になることである。