通常学級における教育のユニバーサルデザイン(9)「分からない」を楽しめる子どもに

星槎大学大学院教授 阿部 利彦

前回、子どもの「分からない」つらさを教師が理解できない、という問題が生じやすい点に触れました。さらに言うなら、教師や勉強ができる子は、分からないことを解決しようとする挑戦を楽しめています。「分かった」「できた」というスッキリ感を何度も味わった経験があるからです。問題が解けた喜びや、ゴールにたどり着いた達成感があるからこそ、人はまたさらなる挑戦を続けられるのです。

一方、分からないことだらけで学ぶことを諦めてしまう子がいます。ずっと分からないまま、分かったふりを続ける子もいます。そういう子どもたちに「分かるまで頑張れ」「できるまで努力しろ」と言っても、そこに主体性は生まれず、強制だけが強化されていきます。

分からない子にとって、「なぜ」「どうして」は探究心を刺激する言葉ではなく、「なぜ分からないの」「どうしてできないんだ」と責められるときの言葉として認識されています。教師に求められているのは、「なぜ」「どうして」を本来の意味である「学びの原動力に変える言葉」として子どもたちに再入力する支援なのです。

学びにつまずきのある子どもは、「なぜ」「どうして」の天才であったはずです。他の子が当たり前と思うことを不思議に思ったり納得できなかったりする、こだわる子どもであったはずです。授業中に空気を読んだり教師の期待する答えを言おうと忖度(そんたく)したりしない、自分の見方・考え方にいい意味でこだわる子であったはずなのです。

しかし、授業では多数派に意見を合わせるよう求められることが多いので、彼らは徐々に自分の考えを大切にできなくなります。疑問や不満があっても、それを表に出すのを諦めてしまうようになります。当たり前といわれるようなことでも気にして、引っ掛かり、もやもやする。そういったオリジナル発達の子どもの考えを尊重することこそ、多様性を大事にするクラスであると私は考えています。

授業のユニバーサルデザイン化とは多様な考えを認め、正解も考え方も大事にすることです。そのためには、特に学びにつまずきのある子が「なぜ」「どうして」「これは分からない」「ちょっと難しいぞ」と思うことを楽しめるような安心感やワクワク感を、どのように育むのかがポイントになります。