通常学級における教育のユニバーサルデザイン(10) 自らの教え方を問い直す

星槎大学大学院教授 阿部 利彦

私は「全員参加の授業を目指す」という言葉に最初に違和感を覚えた者の一人です。ですから、「全員参加」「全ての子に」という言い方をしないように心掛けています。

ただ、「全員参加」を否定しているわけではありません。そこが「多様な参加の仕方を保障した学びの場」や「それぞれの参加の仕方を大切にする場」であるなら、そういう意味での全員参加の授業を子どもたちとつくっていきたいと願っています。

また、見通しを持たせることが本当に重要なのかという点を含め、「授業のユニバーサルデザイン」の考え方を絶えず疑ってもいます。

ですから、授業のユニバーサルデザイン化に否定的な教師がいたとしても、当然だと考えています。子どもに全員参加を強制しないのと同様、教師全員にユニバーサルデザイン化を強いることもしません。多様な考えを大切にすることこそが、最も大切だと思っています。

連載の最後に、授業のユニバーサルデザイン化で大切なことは何かを再考してみます。私は、教師が自分の教え方を疑ってみる(否定するのではなく)ことから始まると考えます。私たち教師は、自分が子どもの頃に教わったやり方や、自分に適していた教え方をベースに授業を行ってしまいがちです。

しかしながら、自分の教わったやり方は目の前の子どもたちの学び方に一番合っていると言い切れるでしょうか。そこを問い直してみてほしいのです。子どものこだわりを変えようと必死になっている教師が、自分の教え方のこだわりには気が付いていない、そんな状況が見えてくるかもしれません。

行動分析には「学び手はいつも正しい」という言葉があります。もし子どもがつまずいたら、彼らのせいにするのではなく、そこから先生が自分の教え方をリフレーミングする必要があるのです。

授業のユニバーサルデザインには、①学び手の立場に立つ②子どものつまずきを想定する③間違いから学ぶことのできる場をつくる――の3つのポイントがあります。それを教師同士で検討することももちろん大切ですが、子どもたちの実際の言葉や反応、ノートやワークシートに書かれたことなどから、自ら学び直せるといいですね。

授業を見直してみる、そのとき「ユニバーサルデザイン」という言葉にこだわる必要はありません。授業のユニバーサルデザインの考え方を通じて、私たち教える側が自分のスタイルから自由になること、それが大事なのではないでしょうか。

(おわり)