見落としがちな道徳の本質~教師は何をすべきか Do & Talk !(1)モラル・バックボーン

東京都教職員研修センター教授 朝倉 喩美子

二十年ほど前のある土曜の午後、当時勤務していた学校の校庭にたたずむ女性が目についた。ずっと校舎を眺めている。

卒業生だというその女性は、訳あって渡米し数十年ぶりに帰国して、母校が懐かしくなり訪れてみたのだという。「米国では苦難の連続で、自分の命を断ってしまおうかとさえ考えたこともあったが、何とか乗り越えてこられたのは、この学校で『モラル・バックボーン』をしっかりと身に付けてもらったおかげ」。涙ぐみながらとつとつと語る言葉に、彼女の深い思いがにじんだ。

「モラル・バックボーン」――直訳すると「道徳性の背骨」である。小学校の頃に培われた道徳性が生き方の指針となり、彼女の人生の節目ごとに支え続けたというのである。道徳性とは、よりよく生きようとする人間の背骨にもなり得るのだ。私にとって忘れられない言葉となった。

目まぐるしく変動する現代にあっては、物事の本質は見えにくい。集団や社会が広がるほど、自分にとって異質な存在が増え、分かりにくさの多様性は拡大する。また、情報社会の急速な進展は、世界の最良・最上の情報に触れられる良さがある反面、不安要素を拡大・増幅させる手だてにもなっている。その中で何を信じ、誰を頼りにして、どのように判断すればいいのか、大人にも見当がつかない場合が多い。

青少年にとっても同様である。目の前のささいな出来事にとらわれて全体像が見えなかったり、感情的ないさかいに翻弄されて自分を見失ったり、あれこれ考えあぐねて行為の選択に迷ったりすることもあるだろう。

そんなとき、最終的に正しい示唆を与えてくれるのは「モラル・バックボーン」、つまり不動不変の根本的な原理・原則、「人としての在り方、根本的なものの見方・考え方、行動規範」ではないだろうか。

とするならば、教師は、大人は、社会は、目の前の子供たちに、確かな背骨となるモラル・バックボーンを備えてやらねばならない。それを子供自身が内面的なよりどころにしながら、自らの意志と力で豊かな自己実現を図っていけるようにしてやりたい。

教師である私の道徳研究は、この女性との出会いから本格化した。現在私は、東京都内各小・中学校の道徳教育を志す教員らと、授業研究を重ねている。

道徳科の授業とはどういうものなのか、教師は「何のために」「何を」「どのように」指導するのか、追究する中で見えてくる本質的なものを探っている。

この連載を通じて、これからの道徳教育を一緒に考える材料にしていただければ幸いである。


【プロフィール】
あさくら・ゆみこ 東京都教職員研修センター研修部授業力向上課教授。日本道徳科教育学会副会長。練馬区立小学校統括校長など公立学校長を歴任したほか、東京都小学校道徳教育研究会会長、小学校学習指導要領解説道徳編作成協力者を務めた。「教師の自己満足に終わらない学び手主体の授業を創る」(『道徳教育』2018年10月号)ほか、雑誌寄稿、論文多数。
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