IN-Child―包括的教育を必要とする子ども(2)発達障害とは違う概念

琉球大学教育学部教授 韓 昌完

「発達障害バブル」と言われるほど、発達障害が頻繁にクローズアップされる昨今の風潮には、このままでよいのかという懸念がある。また長きにわたり、学問領域ごとにさまざまな主張がみられる人間の発達に対して、標準的な基準を設けることに強い疑問を抱かざるを得ない。

社会全体を通して、多様性への寛大さが薄れてきてはいないだろうか。昔はクラスに必ず一人はいた「元気でやんちゃな子」が、今では「発達障害」や「グレーゾーン」、「気になる子」と呼ばれている。集団から少しでも外れた子供はそうしたレッテルを貼られがちだが、日々変わりゆく子供の多様な顔が、レッテルの下に隠されてしまっているのではないかと危惧している。

子供たちは小さな体の中に膨大なエネルギーを秘めている。それは日々変化するための力であり、時に子供自身も予期せぬ形で表出することがある。例えば、親のけんかが原因で、学校で落ち着きがなく不注意が目立つことがある。また子供同士のいさかいや衝撃的な出来事による心理的ダメージ、夜眠れない、鼻炎があるといった慢性的な身体的ダメージによって、衝動性や多動性、不注意などが表れる場合もある。いずれも子供にとっては深刻で、意識的、もしくは無意識に「ヘルプ!」の信号を出している。

ところが、その信号が衝動性や多動性、不注意という形で表れた場合、現代では「障害」という概念で固定してしまう傾向にある。今見えているさまざまな様子の原因を探る前に、「発達障害」でふたをしてしまっては何も生まれない。レッテルにとらわれて、本当の姿が見えなくなってしまっている。

学校の教員は発達障害の診断を下す専門家ではないし、医学的な責任をとることもできない。子供が専門家の診断を受けたとしても、教員は子供の発する教育的ニーズの本質を把握して、忠実に応えていくべきである。

IN-Childは「発達障害を言い換えただけじゃないか」と言われることがあるが、全く新しい考え方であることを理解してもらいたい。発達障害は、障害者基本法において精神障害に含まれ、「障害または社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」と規定されている。また、精神保健福祉法によって精神障害者手帳が交付される。この事実の重さを、われわれ大人はどれほど理解しているだろうか。

教育現場に医学的診断である発達障害を持ち込めば、教員として本来なすべきことがおろそかになる恐れがある。その点に対してはもっと危機感を持たなければならない。実態把握ツールである「IN-Child Record」(ICR)は、学校でみられる「今の」子供の教育的なニーズを映し出す鏡であり、教員が適切な教育的支援を行うためにある。ICRの活用は、子供を、また自分の仕事を守ることにもつながると考えている。

 

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