【見落としがちな道徳の本質(3)】道徳は数学?

東京都教職員研修センター教授 朝倉 喩美子

ある数学の教師が道徳科の研究授業を行うことになった。学習指導案を作成した際の感想には「これ(道徳)は完全に数学だ」とあった。道徳が数学、さてその心は?「緻密な計算の下に授業が成り立つところは、まさしく数学だ」。

ねらいを目指して意図的・計画的に指導するのは、どの教科・領域の授業でも同じである。しかし、道徳科特有の見えにくいもの(ねらいとする価値に関わる心情や思考)を児童・生徒に想像させ、多様な考えのもと交流させるには、的確な発問を用意する必要がある。また、発問に応じた児童・生徒の生の意見に隠れている本質的な考えや価値観を、意図的な補助発問で引き出し比較検討させるような手法は、かなり綿密に計算して用意しておかねばならない。さらに、個人的な内容の表現を容易にし、自然な形で交流させて実践に向かう意欲を引き出すには、児童・生徒の実態を捉えてよく吟味し、適切に準備して授業をつくる必要もある。もっと言えば、表現しにくい個人的な見解を主体的に表し交流するには、話し合う(あるいは議論、対話する)必然性が感じられなければならない。必然性を生む投げ掛けはどうあるべきか、その吟味と用意がなければ、児童・生徒の学習意欲は半減する。

道徳科の学習指導過程例(一貫した学び①~⑥)

個々の児童・生徒の価値観、価値意識は違っており、それぞれの気付きによって高められる。場合によっては個人の気付きが共通することもあるが、基本的に「全体に共通する正解」や「統一の見解」はない。授業でそれぞれが気付きを得て、個人的な価値観(納得解)に帰結するのである。個々の児童・生徒の現段階の考え方や感じ方に気付きが加わって変容が促され、自覚することによって、新たな価値観が形成される。

新たな気付きを得るには、級友との話し合いによる価値観の交流や、自他の考え方の比較検討が欠かせない。多様な意見の交流を通して、意見の異同や類似、視点の転換という思考方法から新たに見えて来るものに気付く。

つまり、一単位時間の学習指導過程を策定する上で①ねらいの的確な設定②ねらいに沿った導入③それを受けた発問④表出された意見を生かしてつなげた次の発問⑤教材を通した学びを生かした展開後段の発問⑥それを踏まえた終末――と、導入から終末まで一貫した積み重ねのある指導が必要である(図)。そうでなければ、ねらいとする価値の追求が中途半端になったり、理解の底が浅くなったり、個々の児童・生徒自身の気付きが曖昧になってしまったりする場合があるからである。

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