【見落としがちな道徳の本質】道徳は数学?


東京都教職員研修センター教授 朝倉 喩美子



ある数学の教師が道徳科の研究授業を行うことになった。学習指導案を作成した際の感想には「これ(道徳)は完全に数学だ」とあった。道徳が数学、さてその心は?「緻密な計算の下に授業が成り立つところは、まさしく数学だ」。

ねらいを目指して意図的・計画的に指導するのは、どの教科・領域の授業でも同じである。しかし、道徳科特有の見えにくいもの(ねらいとする価値に関わる心情や思考)を児童・生徒に想像させ、多様な考えのもと交流させるには、的確な発問を用意する必要がある。また、発問に応じた児童・生徒の生の意見に隠れている本質的な考えや価値観を、意図的な補助発問で引き出し比較検討させるような手法は、かなり綿密に計算して用意しておかねばならない。さらに、個人的な内容の表現を容易にし、自然な形で交流させて実践に向かう意欲を引き出すには、児童・生徒の実態を捉えてよく吟味し、適切に準備して授業をつくる必要もある。もっと言えば、表現しにくい個人的な見解を主体的に表し交流するには、話し合う(あるいは議論、対話する)必然性が感じられなければならない。必然性を生む投げ掛けはどうあるべきか、その吟味と用意がなければ、児童・生徒の学習意欲は半減する。

個々の児童・生徒の価値観、価値意識は違っており、それぞれの気付きによって高められる。……

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