【IN-Child(4)】共に学び、共に成長する教育

琉球大学教育学部教授 韓 昌完

障害児の排除から分離教育、そしてインクルーシブ教育へと日本の教育はその変遷をたどっている。これまでの研究や事例に基づけば、インクルーシブ教育とは「障害の有無によらず、共に学び合う場を設定し、その中で健常児も障害児も平等かつ包括的に教育を行うこと」と言えよう。

「共に学び合う場」において、その場にいてはいけない子など存在せず、全ての子にその場にいる権利がある。大人は子どもの人権を守り、周りの子どもたちとの関係性の中で遂げる成長を見守る存在でもある。

先進的な取り組みを行っている国として、フランス、フィンランド、イタリア、英国などが挙げられる。

フランスでは、全ての子どもが通常学校に学籍を登録できる。つまり、子どもの将来に関わる進学先の選択責任を保護者個人に負わせず、国と社会が負う。

フィンランドでは、全ての子どもに通常教育の中で学習支援を受ける権利が保障されている。また、床で勉強する、壁に字を書くといった子どものさまざまな学び方を尊重し、大人ではなく子どもの目線に立った授業が特徴である。これは、学習支援が単に支援者を付けるだけではないという例でもある。

イタリアは、公立の特殊学校および特殊学級がない国として、完全インクルーシブ教育を目指して人的・物的環境の整備に力を入れており、中でも人的支援の環境が優れている。例えば、クラス内の障害のある子どもの人数に応じて、担任とは別に「特別支援教師」が配置される。

英国における障害のある子どもの教育は、障害のカテゴリーではなく、学習上の困難度から考えられる特別な教育的ニーズを基にしており、それが法律で定められている点が特徴だ。

一方、日本の教育は、いまだ画一的な教育システムが多くを占めていると言わざるを得ない。社会的ニーズを満たすための標準化を目的としており、トップダウンの管理や「読み・書き・計算」の基礎的学力向上中心の評価で形成されていることが多い。

戦後の日本において、産業や経済の急速な発展をもたらしたこの教育スタイルの成果は計り知れない。しかし、成長期を経て成熟した日本が未来へのステップとしてインクルーシブ教育を取り入れるには、時代に合わせた教育システムの改革が求められる。

とはいえ、急にシステムという箱ができても、その中にいるわれわれの意識が変わらなければ根本的な変革には至らない。教員が、保護者が、そして子どもに関わる全ての大人が、「インクルーシブ教育とは何か、どのような教育が求められるのか」を理解して行動に移すための共通認識が必要である。

そして、その共通認識を促すものが「IN-Child」であり、「IN-Child Record」(ICR)であると期待している。さて、日本型インクルーシブ教育システムの導入が先か、現場にIN-Childの考え方が広がるのが先か。どちらにせよ、両輪がなければ進まないだろう。

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