【見落としがちな道徳の本質(5)】「道徳科の教科書」の活用

東京都教職員研修センター教授 朝倉 喩美子

某中学校の教師が言った。「学習指導要領が変わって教科の授業準備は大変ですよ。道徳は大丈夫、心配ない。指導の仕方がよく分からなくて敬遠していましたけど、教科化されて、教科書があるじゃないですか。その通りやればいいんですから」。

どの教科にも教科書はある。同時に、教科書や指導書を中心にした教材研究の重要性は論をまたない。つまり教科書に書かれていることをそのままなぞって終わるのでなく、教科書を材料に教えるべきことを教えてこそ専門的指導といえる。道徳科とて同じであるはずだ。

にもかかわらず、この教師の道徳科の教科書に対する「信頼」の大きさはどうだろう。教科書通りに指導すればいいと言い切っている。確かに道徳科の教科書には、一つ一つの読み物教材に「学習のめあて」が示されていたり、学習の「手引き」が付いていたりと、教師が指導しやすいように編集されているものが多い。

加えて、児童生徒が自学自習できるような構成、家庭でも話題にできるテーマ設定などの付加価値もある。実際、道徳性という内面的資質を養う上では、週1回の道徳科学習を中心に据えつつ、児童生徒の自発的・個人的な学びや家庭における養育に資するこうした教科書は大変好ましい。

では、ここで道徳科の目標をおさらいし、授業ではどのような学習が必要なのか再確認してみよう。

学習指導要領解説の「道徳科の目標」には、「よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うため、道徳的諸価値についての理解を基に、自己を見つめ、物事を(広い視野から)多面的・多角的に考え、自己の(人間としての)生き方についての考えを深める学習を通して、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる」とある。
(かっこ内は中学校)。

つまり教師は①道徳的諸価値の理解を基に②自己を見つめ③物事を(広い視野から)多面的・多角的に考え④自己の(人間としての)生き方についての考えを深める――学習を用意し、児童・生徒に提供する責任がある。

児童生徒が教科書の「学習のめあて」や「手引き」を手掛かりに自学自習したとして、①~④はある程度可能かもしれない。が、あくまで「ある程度」でしかない。

特に③は難しい。個人の思考は独善的、一面的であることが多く、発達途上の児童生徒であればなおさらである。人は他者との比較検討を通して大切なことに気付き、自分とは違う考え方に触れて多様な視点での思考が働く。集団での学びがあって初めて自己の実態が明白になり、生き方が見えてくるのである。

やはり教師の意図的、計画的な授業の策定は必要である。▽ねらいとする道徳的価値をきちんと理解する▽児童・生徒の実態に応じたねらいを定める▽教材をよく分析して道徳的な問題を話し合う切り口を決める▽指導の効果を高める学習活動を考える――など、授業づくりには教師の意欲と具体的な手だてが欠かせない。教科書の手引きは参考にはなるが、学級の実態に照らしてみれば、そのままの形では使えないことが多い。「よい仕事にはよい準備」なのである。

ところで、道徳科の教科書にはなぜ読み物教材が多いのか。主な利点を考えてみる。

○どの児童生徒でも共通の事例を通した話し合いができる。

○現実の自分とは関わりのない登場人物の話題として、自己投影しながら率直に考えることができる。

○ねらいとする価値に関する話し合いがしやすいよう、焦点化して作られているので大きなぶれが生じない。

○45分(中学校50分)の授業時間内で話し合えるショートストーリーになっており、コンパクトに考えさせることができる。

特に2番目の、学級内の人間関係の利害得失に絡むことなく話し合える点は重要である。友人の思惑を考えて意見を控えたり、本心とは違うことを話したりする可能性は往々にしてある。安易に「現実の自分だったらどうか」と尋ねるのは早計であろう。これらの点をみても、教科書の読み物教材を効果的に活用する意義はあると思われる。

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