【見落としがちな道徳の本質(9)】「学級経営」という仕掛け

東京都教職員研修センター教授 朝倉 喩美子

道徳科の学習は、道徳性という外側から見えにくい内面的な資質の醸成をねらいとする。これは、新学習指導要領で示す資質・能力の三つの柱のうち「学びに向かう力、人間性等」に含まれるように思われる。

文科省は、この柱と他の「知識及び技能」「思考力・判断力・表現力等」をトライアングルで図示している。三つの柱で育成される力の統合的な活用を目指すためだろう。しかし「学びに向かう力、人間性等」は、他二つを含めた、学びそのものを成立させる前提となる資質であり、次の学びの創造に不可欠なものでもある。

つまり、学ぼうとする意欲を持ち続けたり、学びが自身の成長に役立つと実感し、積極的に役立てようとする姿勢を身に付けて初めて、学びが学びとして生きる。それほど重要な機能を持ちながら、道徳性同様、数値的な客観的評価は難しい。また他の二つと違い、一朝一夕に身に付けられる資質ではないはずである。

しかし、こんな例がある。

A教諭は、どの学年のどの学級の子供を受け持っても、学力テストの平均点が他の学級よりもほぼ10ポイント高くなる。体力テストの数値も格段によく、学校で実施する長縄跳び大会ではたいてい学年一になる。子供たちは特別能力が秀でていた訳ではなく、厳しく教え込まれて暗い表情をしている訳でもない。むしろ明るく元気でいきいきしている。

B教諭は、学級の立て直しのプロである。前年度学級が荒れ、いじめやいさかいが絶えず全校の教員の頭を悩ませ、保護者の心配と不信を招いた子供たちが、新年度の4月、5月には静かに学習に集中し、宿題をきちんとやってくる。交わす言葉は穏やかになり、学級の文化が良質になる。B教諭がボスザル的に子供を威嚇し、委縮させているのではないようである。

どちらの例も、学級経営のよさによる成果といえよう。「学びに向かう力、人間性等」を涵養(かんよう)、また道徳性を醸成するには、まず日々の学級経営を良質にする必要があり、それが最短経路でもあるのだ。

A先生を一言でいうと「子供へのサービス精神が旺盛」な人である。一人一人の話をよく聴きよく観察して、友達関係の悩みや学習の困り具合まで把握し、笑顔で励まし具体的な示唆を与える。特別に時間を掛けているのではなく、授業中や給食時間、休み時間などの隙間をその機会にしているのだ。授業は板書に工夫があり分かりやすい。成長に役立つ情報を収集して朝や帰りの時間に提供し、飽きさせることがない。子供は日々知的好奇心をくすぐられ、問いを持ち、思考し、共感と納得を積み上げる。

B先生は、子供相互の良好な関係づくりを学級経営の第一義にしたという。荒廃した学級の子供は安心できる居場所がなくなり、自信が持てず疑心暗鬼になる。学習意欲はもちろん、よりよい自分や望ましい学級集団の在り方にも無関心になりやすい。

B教諭は、全員にどんな学級にしたいのか確認した上で、まずは個々の子供に自信を持たせる必要があると判断した。そこで集団の力を活用し、「一人一人のよさを際立たせて皆で認め励まし支える」次のような仕掛けを用意した。

日直の他に「今日の主役」を一人抽選で選ぶ。彼(彼女)は前日までに、自己紹介とこれから頑張りたいことを画用紙に書き、朝、皆の前で発表する。皆はその日一日必ず一つ以上その子の良いところを見つけ、直接伝えてたたえ、エールを送る。

この実践の感想を当該学級の子供に尋ねると「みんなが自分をちゃんと見てくれていると分かってうれしい。自分のいいところを知って自信がついた」「どの人にも良さがあって、その集まりがうちの学級。最高の学級だと思う」と返ってきた。

A教諭、B教諭の共通点は、子供の気持ち、子供の活動、子供自身の学びを中心に考え、教師と子供、子供相互の結び付きを良いものにしている点である。道徳科の学習をはじめ、子供たちが学びを大切なものとして意識し、自身を成長させようと学習をコントロールできるよう導くには、学びの場の安心と安定が必要であり、集団での学びという学校教育の特質を存分に活用することが肝要である。

学級経営は、さまざまな仕掛けができる重要な指導であり、教師の裁量に任せられた指導上の権利でもある。存分に創意工夫し磨きをかけたい。そこに「学びに向かう力、人間性等」の涵養の糸口と、道徳科の指導における基盤がある。

この連載の一覧

あなたへのお薦め

 
特集