【こども哲学(1)】なぜ「こども哲学」なのか

NPO法人こども哲学・おとな哲学 アーダコーダ
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「哲学」と聞くとどんなイメージを思い浮かべるだろうか。プラトンやアリストテレスといった哲学者の名前か、それとも図書館や書店に並ぶ分厚く難解な哲学書だろうか。

確かにそれらは誤りではない。しかし、こども哲学における哲学が持つニュアンスは、それらとは異なる。

こども哲学における「哲学」とは、「日常の当たり前に潜む素朴な問いについて、自由に問い、考える」ということだ。どんな哲学者の思考もスタート地点は自分の中に湧き出た素朴な問いであり、哲学書や難解な言葉たちは、その問いに対する思考の堆積である。つまり、こども哲学における哲学とは、哲学者の思考の成果ではなく過程に着眼し、そのエッセンスを抽出したものである。そして、その哲学的な方法で日常のさまざまな疑問について一緒に問い、考える実践がこども哲学なのである。

子どもたちが哲学する意義はさまざまだが、大きくは3つある。

まず、問いを立てる力を養うことだ。哲学をするには第一に問いを持つ必要があり、その過程には問いを立てることが含まれている。また、問いに対して深く考えるには、さらにさまざまな角度から問う必要があり、哲学においては問うことが常に求められる。

次に、他者を尊重する態度を育むことだ。哲学の場において、異なる観点からの問いや考えは重宝される。また、問いについて対話を重ねる中で、普段から一緒に過ごしていた友達が、実は自分と全然違う考え方をしていたことにたびたび気付くようになる。子どもたちは哲学することを通して、自分と他者の違いを知り、違うことが大きな価値であると理解していくのだ。

最後に、ありのままの自分を大切にできるようになることだ。子どもたちが生きる世界は理不尽にあふれている。納得できないことばかりだ。子どもたちの悲しみや怒りの声の多くは、大人たちに拾い上げられることなく、子どもたちの心の奥に押し込まれたままになっている。哲学の場ではそれらが否定されることなく、むしろ新たな発見につながる、価値ある声として待望される。どれだけ異質にみえる考えも受け止められる哲学の場は、子どもにとって自分をさらけ出せる避難所のような存在になる場合もある。

こども哲学は幼児から高齢者まで、どんな年代でも実施することができる。とはいえ、実施の様子は年齢に応じて違いがある。次回からは、私たちが各年代の子どもたちとどのように哲学する場を開いているのかを具体的に紹介していく。学校関係者のみならず、子どもと携わる方々がこども哲学を実践する際の参考になれば幸いである。

(代表理事 角田将太郎)

【NPO法人 こども哲学・おとな哲学 アーダコーダ】

正解のない問いについてグループで考える哲学対話を社会の中で実践的に活用するスキルやプログラムを提供。各学校での哲学対話の出前授業や、こども哲学ファシリテーター養成講座なども開催している。


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