【こども哲学(5)】アジールとしての哲学対話

NPO法人こども哲学・おとな哲学 アーダコーダ
この連載の一覧

猫も杓子(しゃくし)もアクティブ・ラーニングというご時世になって久しいが、中学生相手に対話型の授業をするのは、はっきり言って難しい。自分の意見を人前で真面目に語ることがいちばんかっこ悪く感じられる年頃であるから、ずっと下を向いて押し黙ったり、友達同士でふざけて他の人の発言をちゃかしたりして、なんとかその場をやり過ごそうとするのである。

こうした実情を無視して無理やりアクティブ・ラーニングを導入しても、内容は空疎で単なる形式的な活動に終わる。これは教員なら誰しも気付いていることである。

筆者は中学校で8年にわたって哲学対話の授業に専従してきたが、その経験を通してだいぶ分かってきたことがある。中学校に入学したての1年生の春から継続的に哲学対話に取り組むと、人前で発言することや真面目に議論に参加することへの抵抗感をかなり減らせる、というものだ。

入学後のなるべく早い時期に「考えるっておもしろい!」「自分以外の人の話を聞くと考えが深まる!」という実感を何回か抱くと、それによって話すことの恥ずかしさや考えることの面倒くささを乗り越えられる。

筆者の実践経験からすると、低学年でこうした体験をしていない児童に高学年でいきなり対話的な授業を行っても、絶望的なほどうまくいかない。

逆に言えば、入学直後から継続的に哲学対話を行えば、生徒たちが対話的な活動に取り組む際のハードルを大幅に下げられる。それによって学校全体でアクティブな学びを取り入れる素地をつくることができるのだ。

中学校で哲学対話を行うもう一つの効能は、「当たり前」に乗りきれない子どもたちに居場所を提供できる点である。どんなことでも問い直せる哲学対話の授業は、大人や教員、多数派の生徒がつくり出す「世間的な常識」「学校の当たり前」を相対化し、それらと距離を置いてじっくり向かい合う格好の機会となるのである。

このため、日々の生活の中でさまざまな違和感を抱いていたり、学校的な秩序に息苦しさを感じていたりする生徒たち(時に教員や保護者たちも)は、授業時間外でも哲学対話に引き寄せられるように集まってきて、放課後に自主的な哲学カフェを開いたりするようになる。

こうして哲学対話は、学校の中にありながら学校的な秩序の及ばないアジール(聖域・避難所)をつくり出す。そこに集った参加者同士が、学年やクラスの垣根(場合によっては生徒・教員・保護者の垣根も)を越えて、学校や社会の在り方を静かに問い直していくことで、学校や社会をゆっくりとつくり変えていくのである。

(アーダコーダ理事、開智日本橋学園中学・高校教諭 開智国際大学非常勤講師 土屋陽介)

この連載の一覧
特集