【こども哲学(10)】哲学すべきは幼児か、それとも大人か

NPO法人こども哲学・おとな哲学 アーダコーダ
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最終回は、引き続き幼児とのこども哲学に関して、そしてそれが大人たちにどんな影響を及ぼすのかを論じる。

私は2018年から未就学児を対象に「こども哲学教室ソフィー」という教室を月2回開いている。幼児に哲学なんて無理じゃないか、そう思われるかもしれない。確かに、子どもたちが持っている語彙(ごい)は少ない。しかし、子どもたちは私たちが想像している以上に多くのことを考えている。

例えば「人は死んだらどこにいくのだろう」という、大人でも答えに窮するような問い掛けに対し、「土に埋まって地面の下の方にいる」「魂だけが空をふわふわしている」など、自分なりの考えを述べることができる。

自分が幼かった頃のことを思い出してみてほしい。「なんでお父さんは好きなテレビ番組をずっと見ていても怒られないんだろう」と不満を抱いてはいなかっただろうか。子どもは子どもながらにさまざまなことを考えている。

子どもたちの自由な考えを受け止め、問い掛け、また考えを聞く。そして、子どもはまた自分なりの考えを言葉にする。幼児期のこども哲学は正しいことを言えるようになるのではなく、何が正しいのかを自分で考え、言葉にできるようになることを目指している。

幼児とのこども哲学で影響を受けるのは幼児だけではない。私たち大人も、である。幼児とのこども哲学に関わる大人は、幼児以上に大きな影響を受けているかもしれない。こども哲学をしていると、よく子どもたちの発言にハッとさせられる。

私が1年の振り返りを一生懸命していたとき、「なんでそんなに真剣な顔でやっているの?」と尋ねられた。それで、自分が振り返りは時間をかけて真面目にやらなくてはならないものだと思い込んでいたことに気が付かされた。私たちは気付かないところで、多くの固定観念に縛られている。

大人になった私たちは、「~しなければならない」「~であってはいけない」といった信念に自由な考えが阻害されている。子どもたちのまだ当たり前にとらわれていない、斬新で壮大な考えや、好奇心と探究心でいっぱいの「なんで?」を真正面から受けてみてはどうだろうか。きっと今よりも自由だった、かつての「哲学的な」自分を思い起こさせてくれるだろう。

(アーダコーダ代表理事 角田将太郎)

(おわり)

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