【主体的に考え、行動する生徒を育む(9)】教師が負う「責任」とは

学校法人自由の森学園理事長 鬼沢 真之
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前回まで、自由の森学園の理念と教育を元に、子どもの主体性を育てるヒントについて述べてきました。今回は視点を変えて、教師の在り方に関して考えを述べます。学校の文化を形成する教師の主体性の度合いが、子どもたちに深く影響すると考えているからです。

教師を目指す若者たちは、どういう場面で主体性を培っているのでしょうか。私の若い頃と比べ、教員免許取得に必要な単位数が引き上げられ、学生は講義にくぎ付けになっているようです。めでたく現場に出ても、業務に追われ長時間労働が当たり前になっていると聞きます。

そう考えると、教師が自身の人生について試行錯誤する時間的な余裕はあまり与えられていないのでは、と危惧します。

かつて教育基本法(第10条)では、教育の「直接責任制」が定められていました。一般には、教育への不当な介入を排する規定として語られていましたが、むしろ、教師が教育実践に直接的に責任を負っているという部分が重要だと考えています。

私は新任の教師たちに、教師としての主体性とそれに伴う責任を背負いながら実践してほしいと伝えています。教師による教育の自由が学園の校風を培い、結果、生徒の意識の形成に影響するからです。

当然恣意(しい)的な授業内容は慎まなければなりませんが、決まっていることを型通りに伝えるだけの授業には力がないと思っています。自分自身が子どもたちの成長に本当に必要だと思うことを授業化する姿勢を持ち続ける。遠回りであっても、これが子どもたちの主体性を育てることにつながるのではないでしょうか。

さて、「責任を負う」とはどういうことでしょうか。例えば、子どもたちが「授業がつまらない」と言ってきた。あるいは「これを学んで何の意味があるのか」と問いをぶつけてくるかもしれません。

それに対して自分自身の言葉で応答することが、教師としての責任なのではないでしょうか。自分が選択した教育内容について、その必要性や重要性を語ること(たとえその場では理解されなくとも)だと思います。

生身の頭と心をくぐった授業をつくっていく姿勢が、教師の背骨となります。これこそが、教師をロボットに代替できないゆえんです。

そう考えると、教師の人間として、市民としてのありようが問われます。教師の仕事上の主体性以上に、地域や社会、文化や芸術との関わりが重要です。

「働き方改革」があちこちで叫ばれる中、単に長時間労働を抑制するだけではなく、その先にある教師の人間的な成長が図られる改革であってほしいと願っています。

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