【日米の学校(5)】「ゼペット!」(前)

東京学芸大学附属国際中等教育学校副校長 雨宮 真一
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ワシントンDCに家族3人で赴任したとき、娘は8歳で小学3年生になったばかりだった。旅立ちを前に、クラスの友達に盛大に見送られて名残惜しそうだったが、異国の地での新生活を楽しみにしているようでもあった。もっとも、彼女には突然米国行きを宣告したわけではない。1年も前から布石は打ってある。

「あのねえ、家族みんなで外国に住むかもしれないんだよ」

「え、ホント? なんで? いつ? どこへ?」

「うん。どこに行くか分からない。行かないかもしれない」

「何それ」

こういう会話を何回か繰り返した。派遣が正式に決まり引っ越しの準備を始める頃、その事実を娘に伝えると「あ、そう」とあっさり快諾された。

娘の両親は英語教師だが、特段、幼児英語教育を施してはいなかった。使える英語はせいぜいカタカナの「ハロー」「サンキュー」程度だ。

私たちは引っ越し作業が落ち着くとすぐに地域の教育委員会を訪れた。奥の部屋でESOL(イーソル、English for Speakers of Other Languages…外国語話者のための英語教育)のテストを受けるよう促された。短い時間で4技能の能力を判定するという。

どんなテストなのだろう。一緒に参観したいと申し出ると、答えは「ノー」。親が一緒にいるとテストに影響を及ぼすためだ。

しかし私は英語教師だ。ここは交渉の国と聞く。「日本の英語教育の発展のためにぜひ見せてほし…」私のスピーチが終わる前に「ノーといったらノー!」と大柄のおばちゃん担当者は娘を連れてドアをバタンと閉めてしまった。全く歯が立たない。

しばらくして戻ってきた娘に尋ねると「自転車の絵を見せられていろいろ聞かれたけど、全然分かんないから、イエスとノーを何回か言っておいた」とケロッとしている。あのおばちゃんは子供には怒鳴らなかったようだ。

こうして英語力ゼロの娘はESOLの一番下のクラスから学校生活を始めた。普段の授業はみんなと一緒に受けているが、週に4回、英語のときだけ取り出し授業に連れ出される。

先生も友達も何を言っているのか分からないのに、よく元気に通うなあと不思議に思っていると、2週間が過ぎるころ「プッチャネームオンニッってどういう意味?」と聞かれた。“Put your name on it.”(名前を書きなさい)の意味を教えると「やっぱり」と言った。子どもはボーッとしているようでも、よく聞いているものだ。

それからは決まって日にいくつか、学校で覚えてきた言葉を帰宅後に確かめた。“This one.”(これ)や、“What’s this ?”(何これ?)など、短くて何度も繰り返されるものが中心だ。

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