【寛容な教室のつくり方(1)】「すべき」という言葉を自分や他人に向けない

弁護士・特定非営利活動法人ストップいじめ!ナビ理事 真下 麻里子
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私は、NPO法人ストップいじめ!ナビの理事として、中高生や教員を対象にいじめ防止の啓発活動を行う弁護士です。これまで延べ5000人以上の中高生および教員の皆さんと、いじめについて考えてきました。

その経験を通して思うのは、教育現場ではこれ以上、「すべき」という言葉を自分自身や他人に向けない方がよいということです。一般的に使われる「すべき」は、「規範に従え」という意味合いが強いからです。そこに相手の内心に対する配慮はありません。

私はいじめ防止活動を始めた当初から、「いじめをしたら犯罪になったり、損害賠償請求されたりすることを強調してほしい」という学校からの要望を丁重にお断りしてきました。弁護士の使命は、基本的人権の擁護と社会正義の実現であり(弁護士法第1条参照)、法の威を借りて子どもに言うことを聞かせることではないと考えていたからです。

ですからあえて、犯罪成立や損害賠償責任が必ずしも明確ではない、「日常のすれ違い」を題材にした事例を子どもたちと議論し、「いじめは人の尊厳(いじめ防止対策推進法第1条)を傷つける行為だからやってはいけない」と訴えてきました。

そうした活動を通じ、多くの子どもや先生方に共感いただいている実感はありましたが、実は同時に大きな違和感も覚えていました。

結論から言えば、その原因が私自身の中にある「すべき」だったのです。私は「いじめは人の尊厳を傷つける。だから『すべきでない』」と考えており、その思いを皆さんに投げつけていました。それで相手を説得できると思っていたのです。

前述の通り、「すべき」には「~の方がよい」とは異なり、「あなたの気持ちは関係ない。この規範に従いなさい」というニュアンスがあります。私は「いじめたくなる人の気持ちなど聞いていない。興味もない。尊厳を傷つける重大なことなのだからやめなさい」と、「個人の尊厳は守られるべき」という規範を振りかざしていたのです。

つまり、犯罪や損害賠償責任を強調することと、本質的に同じことをしていました。自分自身や他人に向ける「すべき」が、実はとても暴力的なのではないかと気付き始めたのがこの頃でした。

それ以来、なるべく強制力を使わないコミュニケーションについて検討し続けてきました。法律という「力」を使う立場にいる弁護士だからこその気付きもあったと感じています。

この連載では、そうした気付きを教育現場の皆さんと共有していきたいと考えています。

【プロフィール】

真下麻里子(ましも・まりこ)早稲田大学教育学部理学科を卒業。中学高校の数学の教員免許を持つ弁護士。宮本国際法律事務所に所属し、NPO法人ストップいじめ!ナビの理事を務める。全国の学校で、オリジナルのいじめ予防授業や講演活動を実施しているほか、学校運営におけるリスク管理の観点から教職員研修の講師も務めている。2017年1月にはTED×Himi2017に登壇。そのトーク「いじめを語る上で大人が向き合うべき大切なこと」を現在YouTubeにて公開中。著書に『弁護士秘伝!教師もできるいじめ予防授業』(教育開発研究所)、共著に『ブラック校則』(東洋館出版社)、『スクールロイヤーにできること』(日本評論社)がある。

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