【日米の学校(10)】あなたがうらやましい

東京学芸大学附属国際中等教育学校副校長 雨宮 真一
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米国での任期を無事に終え、日本に帰国してしばらくたったある日、学校から帰ってきた娘が妙なことを言った。

「先生の褒め方が違う」

3年間を米国の現地校で過ごした娘は、もう小学6年生になっていた。海外に出て第一の、帰国してから第二のカルチャーショックがあるとは聞いていたが、帰国後から少しずつ感じていた違和感が、3カ月たって初めて言語化されたようだ。その違和感を娘は「日本の先生はゴールから私たちを見ている感じで、アメリカの先生はスタートから私たちを見ている感じ」と表現する。

話をまとめると、こういうことらしい。日本の教師は「先」を「生」きる者としての目線から、子供を褒めることが多い。褒めた内容について、教師自身は当然できているという立場で、ゴール地点から手招きしている。「よくできました」「頑張ったね」などがその例だ。

一方、米国の教師はスタート地点から子供たちの背中に向かって声援を送る。「こんなことができるなんて、あなたがうらやましい」「その考えは、私には思いつかなかった」などがその例だ。

その他にも、「あなたは私の誇りだわ」「君にはなんて才能があるんだ」「あなたのおかげで私はこの仕事が大好き」「君ほどの人を見たことがないよ」「君が私のクラスにいることはこの上ない喜びだ」など、現地校の教師が発した褒め方のバリエーションはたくさん思い浮かぶ。

まるで子供たちを教師自身より優れた者として見るような言葉遣いだ。こうした言葉は、学校だけではなく、習い事の場面でもよく聞かれた。自分は今まで、このような褒め言葉を生徒に投げ掛けたことはあるだろうか。ふと考えてしまった。褒められた子供はさぞ恐れ入っているだろうと顔をのぞき込むと、平然としている。少しは謙遜した方がいいと思うのだが…。

日本の教師が設定するゴールは、子供への期待値だ。子供が成長するにつれ、ゴールは遠ざかり、やがて声援は「なんでできないの?」「もっと頑張れるはず」に変わっていくこともある。

一方、スタートからの声援にも弱点はある。在米中のある日、新聞を読んでいるとこんな記事を見つけた。「褒められることに慣れた子供は、失敗すると他人や環境のせいにする傾向があることが分かった」。厳しくしつけられてきた日本の私たち世代にとっては当たり前のことだ。記事はこう締めくくった。「空っぽの褒め言葉ではなく、具体的に」

どちらか一方に偏ってはいけない。私たちには、スタートとゴールの両方から子供たちを見守る視点が必要なのだ。

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