【子どもアドボカシー(3)】子どもは、すでに今、人間なのだ

熊本学園大学教授 堀 正嗣
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子どもの声が軽く扱われる背景には、「女、子どもは黙っていろ」という文化がある。おとなの男性が力を持ち、女性や子どもの声を抑え込んできたのである。

子ども虐待の背後に、母親へのDVがあることは少なくない。例えば虐待で亡くなった栗原心愛さんの母親のなぎさ被告は、父親の勇一郎被告から、「お前は無能だ。何もできないバカだ」との暴言を受け、親族や友人との連絡を禁じられていた。さらに電話やお金の使い方も細かく管理され、暴力も受けていたという。

このような支配とコントロールの中で、女性は心の声を表に出すことができなくなっていくのである。「個人的なことは政治的なこと」という言葉がある。

男女格差の大きさを国別に比較した世界経済フォーラム(WEF)の「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」2019年版によると、調査対象となった世界153カ国のうち日本は121位で、過去最低だった。特に経済分野・政治分野のスコアが著しく低い。どちらも社会における権力の源泉である。プライベートな男女間の関係は、社会的な力関係の格差を反映したものなのである。

このような女性差別のことを英語ではセクシズムと呼ぶ。子どもの声が聴かれない背景にも同じような構造があり、英語でアダルティズム(子ども差別)と呼ぶ。子どもはおとなに比べて価値の低い「半人前の存在」だという見方である。

「子どもだまし」「子どもの使い」など、子どもに関する言葉には、蔑視の意味が含まれているものが数多くある。「おまえはまだ子どもだ」というのは、人をさげすむときに投げ掛ける言葉であり、「子ども扱い」とは一人前の人間として扱わないことなのである。

子どもの声が否定されやすいのは、このような「子ども差別」が社会に根を張っていることに由来している。子どもアドボカシーが必要な根本的な理由がここにある。

子どもアドボカシーのよりどころは、国連が1989年に採択した子どもの権利条約である。この条約の起草に大きな影響を及ぼしたポーランドのヤヌシュ・コルチャックは、著書『子どもをいかに愛するか』の中で、「子どもは、すでに今、人間なのだ」と述べている。

「百人の子どもは百人の人間だ。それは、いつかどこかに現れる人間ではない。まだ見ぬ人間でもなく、明日の人間でもなく、すでに今、人間なのだ。小っちゃな世界ではなく、世界そのものなのだ。小さな人間ではなく、偉大な人間。『無垢な』人間ではなく、人間的な価値、人間的な美点、人間的な特徴、人間的な志向、人間的な望みを確かに持った存在なのだ」

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