【困った保護者とどう向き合うか(5)】初期対応に手抜かりはないか

日本大学文理学部教授 佐藤 晴雄
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保護者問題に関しては、学校の初期対応の拙さが学校不信を招き、事を深刻化させ、その結果、保護者を「困った存在」にしてしまうことが少なくない。

ある小学校の話である。3年生の女児が階段付近で同じクラスの男児に背中を押され、落下して軽傷を負った。状況を説明するため、担任は女児の保護者に学校へ来るよう求めた。すると、たまたま仕事が休みだった父親も、母親と共にやって来た。

それを見た担任は「お父さんもいらして、一人っ子だからかわいんですね」と余計な言葉を口にした。これを聞いた父親は少し憤り、「先生は3人のお子さんがいるようですから、さぞかわいくないでしょうね」と切り返した。夫婦はその後、クレーマーにはならなかったが、担任に嫌悪感を持つようになった。

別のある中学校の保護者は、わが子が体罰を受けたので、調べてほしいと学校を訪れた。これを迎えた主任は、「後で調べるので」と言って、保護者を帰した。だが、3日たっても学校から連絡はなかった。その間、保護者は学校が事実を隠蔽(いんぺい)するために教員間で口裏合わせをしているのではないかと疑い、以後、学校不信に陥った。

2011年に滋賀県大津市の中学校で起きたいじめ自殺事件、2016年に神戸市の中学校で起きたいじめ自殺事件では、いじめがなかったものとされたり、隠蔽されたりした。遺族の保護者はそうした学校や教委の態度に不信感を抱き、事実解明を求め、結果的に事態が大きくなっていった。

いじめ自殺はそれ自体大事件ではあるが、学校や教委が誠意を持って初期対応に当たっていれば、事態は少し違う展開になったかもしれない。

こうした学校の初期対応の拙さには、いくつかの要因がある。まず、事なかれ主義に基づく学校の隠蔽体質。隠蔽体質には「これくらいは大丈夫だ」という「正常性バイアス」が関係する。このバイアスが働くと、いじめや体罰を指摘されても、「大したことはない」と認識してしまう。

もう一つは、学校のことに外部が口を挟むべきではなく、学校に任せればよいという「パターナリズム」。これは、家庭のことはお父さんに任せればよいという意味で「父権主義」と訳される。教員は教育の専門家だから、保護者が口を挟まず、学校に任せればよい。教員にそんな意識があると、保護者に対して上から目線で対応しがちになる。

こうした要因で学校は適切な初期対応を怠り、事を大きくしてしまうのである。

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