【ポストコロナと教育格差(1)】教育格差の拡大は容認できるか?

広島経済大学准教授 前馬 優策
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コロナ流行による学校休校や経済状況の悪化によって、教育格差が拡大する。それが、多くの人が抱いている率直な見立てである。

教育格差とは、生まれた場所や家庭によって子供が受けられる教育の量や質が異なり(機会の格差)、その結果として学力や学歴に違いが生じること(結果の格差)である。

たくさんの人が生きている以上、何らかの差が生じることはあるだろうが、それが子供自身に選択の余地がないところで生じているという点で「教育格差」は重大な問題となる。

多くの研究が明らかにしてきたように、日本社会には厳然たる社会経済文化的な格差が存在し、それが子供たちにも影を落としている。そして、小学校入学時にはすでに学力格差が存在し、その格差のほとんどは維持されるか、拡大していく。学歴の再生産も根強く行われている。

たびたび言及されるように、日本の公教育は、時に「ブラック」とさえ表象される教職員の献身と、世界トップクラスの私費負担によって、何とか支えられていると言っても過言ではない。

コロナ流行による教育格差の拡大が懸念されるが、学校現場の努力にその解決を求めるのは、もはや限界である。「教育格差」の解消を社会課題として正面に据え、行政によるハード・ソフト両面のサポートを充実させるためにも、教育格差に対する議論の高まりを逃してはならない。

2018年のことになるが、朝日新聞社とベネッセ教育総合研究所が実施した「学校教育に対する保護者の意識調査」では、「所得の多い家庭の子供のほうが、よりよい教育を受けられる傾向」について、「当然だ」「やむを得ない」と答える保護者が合わせて62.3%に上り、2008年の調査(43.9%)から10年で18.4ポイントも増加している。文部科学大臣の(ありえない)「身の丈」発言は記憶に新しいが、教育格差を容認していたのは、何のことはない、私たちの社会自身なのである。

なお、「容認派」のほとんどは「やむを得ない」であり、家計のゆとり状況にかかわらず容認派は増加している。そこには、子育て世帯が「いま・ここ」に拘泥せざるを得ない状況があるとともに、問題を解決へと導く政治的回路の不在に対する諦めがある。

今が議論の時である。教育格差は決して「当然」でも「やむを得ない」ものでもない。本連載では、ポストコロナ時代の教育格差を考え、実践のヒントを提示していくことにしたい。

参考文献:『ポスト・コロナショックの学校で教師が考えておきたいこと』(東洋館出版社、2020)。

【プロフィール】

前馬優策(まえば・ゆうさく) 1983年大阪府生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程退学。広島経済大学教養教育部准教授。専門は、教育社会学、学力格差論。共著に『ポスト・コロナショックの学校で教師が考えておきたいこと』(東洋館出版社)など多数。

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